西野監督はチームを一つにしてくれた
―西野監督の指揮官としてのキャリアの初めのころに指導を受けた田中さんは、当時から、ゆくゆくは名監督になるという予感はありましたか?
「当時はまだ僕らも若かったのでそこまでは分かりませんでした。ただ、いろいろなカラーの指導者の方がいることが分かったいま振り返ってみると、西野監督はアトランタ五輪のときもガンバのときも、表現したサッカーは違ったとしても、いろいろ考えた上で選手のよさを引き出すタイプだなと思います」
―西野監督のサッカーのイメージはG大阪時代のパスサッカーが強いですが、あらためて当時の話をうかがうと、さまざまな引出しのある監督ですね。
「もちろんそうです。五輪後もたくさん経験を積んでいらっしゃるので、あの当時のガンバのイメージだけではないでしょう。あとは、主力選手たちと話をして、個性あるタレントをW杯で日本のために戦えるようにすることができるかです」
―最後に、アトランタ五輪のあのブラジル戦、当時の攻撃の要だった前園選手も守備をサボらずにプレーしていた記憶があります。
「していましたね。きちんとプレスバックもしていましたし、彼らがそういうプレーをしてくれたからこそ、後ろの選手たちもある程度相手のプレーを限定しながら守ることができました。それができなかったら、後ろはお手上げ状態でした。当時のゾノさんは勢いがあったし、チームでも意見を言える立場でしたけど、最後は西野監督がゾノさんにも守備をさせました。二人の間にどこまでの話があったかは分からないですが、当時のゾノさんは納得しなければやらなかったと思います。西野監督はいろいろな言葉をかけただろうし、城もヒデ(中田)も含めてみんなしっかり守備をしてくれました。最後に戦い方を決断するのは監督です。そしてあの勝利を導いたのが西野監督であることは事実です。チームを一つにしてくれた、その記憶は鮮明にありますね」
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聞き手:西川結城 取材日:5月24日(木)
※このインタビューはエルゴラッソ2047号に掲載したものを再構成したものです。
(BLOGOLA編集部)
2018/06/22 17:00