己と相手の力量を見て戦い方を判断したブラジル戦
―アトランタ五輪のアジア予選を戦ったチームは、前園真聖選手や城彰二選手、中田英寿選手などが攻撃的なプレーをしていました。
「アジア予選の相手は、自分たち本来のスタイルである攻撃的なサッカーで戦えるレベルでもありました。Jリーグができて数年経って、個々の能力も上がってきたことで、日本の選手の個性を生かそうという狙いもあったと思います」
―当時の選手の顔ぶれからすると、やはり理想としてはパスサッカーを標榜していたのですか?
「基本的にはしっかりボールをもって、前線の選手に預けていく戦い方でした。チームの中心はゾノさん(前園)だったので、ゾノさんを生かすためにもボールを渡して、そこからサイド、FWとの連係から相手を崩していく形でした。最前線の城は高さもあったので、いろいろなバリエーションで攻めることができました。西野監督は(ガーナ戦に臨む)27人の選手を発表するときに『ポリバレント』という言葉を使い、ちょっとした話題になりましたが、当時から選手たちに『ポリバレント』は求めていたと思います」
―アトランタ五輪の予選では攻撃的に戦った日本ですが、本大会の初戦・ブラジル戦では守備的なスタイルに舵を切りました。選手たちから反発もあったことは知られています。
「本番前の親善試合では力負けをすることも多くありました。自分は守備の人間です。前がかりになり過ぎると、どうしても後ろにスペースができてしまう。そこに対する怖さはありました。だから、少し全体のラインを下げて、スペースを消しながら戦っていこうという意見は、後ろの選手たちの考え方でした。でも前の選手たちは攻撃的にいきたいという思いも当然ありました。そういったときに西野監督は自分の分析した結果を踏まえた上で、どう戦うかをしっかり選手たちに伝えてくれました。それは、西野さんがDFの意見を聞いたというよりも、監督自身がチーム全体を見て、なおかつ相手との力量も見て、こういうサッカーをするという考え方だったと思います」
―五輪ではグループステージの3試合を終えて、勝点6でブラジルとナイジェリア、日本が並ぶ形ながら、得失点差で惜しくもグループステージを突破できませんでした。ただ初戦のブラジル戦で勝利したあの“マイアミの奇跡”は世界を驚かせました。
「ブラジル戦の戦術は相手の長所をしっかり消しながら、粘り強く構えて守るというものでした。僕らももっとボールを保持したかったですが、そこは純粋に力負けで、どうしても押される展開になりました。ただ、そういったことも割り切って受け入れていましたので、無理に攻めることはせずに、しのいで数少ないチャンスを生かす戦い方を徹底しました」
―アトランタ五輪では西野監督は3試合それぞれで違う戦い方を準備していましたか?
「ブラジル戦では守備の意識が強かったですが、ナイジェリア戦では明らかに変わりました。攻めに出ましたし、真っ向勝負を挑んでいきました。これまでやってきた、ボールをつなぐときはつないで、縦に速く攻めるときは攻めるというサッカーでした。そこはしっかりできたと思いますが、相手も最終的に金メダルをとった力のあるチームだったので、力負けをしてしまいましした。
そして、点の奪い合いになって勝利した第3戦のハンガリー戦は、自分たちのサッカーがしっかりできたという印象でした。決勝トーナメントにいくためにもあの試合は攻めて勝つしかありませんでしたし、西野監督もそこを強調していたことは覚えています。
西野監督は今回のW杯も、3試合ぞれぞれでメリハリをつけて戦うのではないかと思います。分析担当者の情報も踏まえて、選手起用などは柔軟にやってくると予想します。五輪のときは少し相手に合わせたサッカーもやりました。西野監督も五輪から月日が流れて、いろいろ経験を積まれていますので、この世界の舞台でどんなサッカーをするのか、そこは純粋に楽しみですよね。いま日本サッカー界においてW杯でのベスト16は一つのノルマ。そこに向けていろいろ策を練っていると思います」
(BLOGOLA編集部)
2018/06/22 17:00