MASSAGE FOR YUKIO TSUCHIYA
■川勝 良一(指導者、解説者)
バウルの武器は、日々の努力と謙虚さを忘れずに継続したこと
「バウル、(東京23FCの)監督就任おめでとう!無名のバウルが本当に長く、ここまでロでやれたのは日々の努力と謙虚さを忘れずに継続したから。まさしくそれがバウルの武器だと思います。その武器の重要性を、これからは若い選手に伝えて、常に情熱と愛情を持って選手を育てて行って下さい。大いに期待してまっせ! バウル!」
■森 栄次(浦和レディース監督)
彼がいなかったら、たぶん神戸は…
「最初にヴェルディへ来た当時、コーチとしてサテライトで彼を指導していた。バウルから、逆に教わったことがある。『自分の物差しだけで指導してはいけない』ということ。彼は脚力があるから、守備のときに自分の感覚よりももっと相手から離れてよかった。それでもボールを取れてしまうから…。一度目のヴェルディ在籍時は全盛期で、すごいメンバーばかり。バウルは紅白戦にも入れなくて一緒に何度も1対1やキックの練習をやったね。宮崎キャンプで紅白戦をやったとき、1本目のメンバーから外れた選手は周りで見ていて、そこからどんどん呼ばれて試合に入っていくんだけど、最後にバウル一人が残ってね。一緒に座って紅白戦を見たな…。本当に彼は努力した。試合に多く出られるようになったのは神戸に行ってから。バウルが一番成長したタイミングだと思う。弱かった神戸(森氏はコーチ)を何度も助けてもらった。彼がいなかったら、たぶんJ2に落ちていた。バウルは何より人間性がいい。それはこれからも大事にしてほしい。指導者になると聞いているけれど、彼ならばできる。最後、19年に関東リーグでプレーする姿も見られた。その試合で肉離れしちゃったんだけど、よく頑張っていたな…。本当に、ご苦労さまでした」
■飯尾 一慶(クレシメントサッカースクール代表)
お金ではなくて、気持ちで動く
「プレーはもちろん、人間性の部分でも、特別な存在だった。最初に会ったときは(土屋が)練習生。そこから努力を重ねてすごい選手になって、ヴェルディのためにという思いをもって07年に戻ってきた。そこから話すようになって、ずっと一緒にいる感じ。プレーで気持ちを見せられる人だし、信じられないくらい体が丈夫。大ケガもあったけど、甲府や京都でもプレーした。あの年齢でオファーが来ることはなかなかない。個人的に、最後に地域リーグでプレーしたことも一緒(飯尾氏は沖縄SV)。対戦する相手もこれまでとカテゴリーが違うから、すごさを伝えきれない。そのもどかしさはあったと思う。でも、お金ではなくて気持ちで動くのがサッカー選手だから。お疲れさまでした、よくやりましたねという気持ち」
■DF 4 山本 英臣(甲府)
太陽みたいな人。周りを明るくしてくれる
「太陽みたいな人。周りのみんなを明るくしてくれる。このチーム(甲府)の雰囲気を良くしてくれた。年齢を感じさせない、最後までやり切るプレーは、見ている僕らも刺激を受けた。いまの自分の年齢(39歳)くらいのときに大けがをしたのに、そこから長いリハビリに耐えて復活して試合に出た。普通では考えられないこと。この前甲府に来てくれて、一緒にランニングした。『現役を辞めることについて考えている』と話したら、『そういうことは考えず、いま目の前のことを一生懸命やっていればいい』とか、いろいろな言葉を掛けてくれてありがたかった。もう、そういうことを言ってくれる選手も少なくなってきたから」
■DF 3 深津 康太(町田)
いまでも目標。少しでも近づきたい
「ヴェルディに入った瞬間(11年)から、バウルさんが目標になった。自分が一番成長できたのはヴェルディのときで、バウルさんの存在があったから。僕は、『町田でバウルさんみたいな選手になりたい』と思ってヴェルディから移籍した。いまでも目標であることは変わらないし、少しでも近づきたいという気持ち。一緒にプレーしたときのバウルさんのイメージはとにかく強烈で、試合出ていると、チームの雰囲気が変わった。本当に頼れるから。後輩の面倒見もいい。いまでも慕っている人たちが多いのは、あの人間性があるから。一緒にプレーできて感謝しかない。45歳まで現役…35歳の自分からして、あと10年は無理。普通に考えてすごいと思う」
■DF 福田 健介(おこしやす京都AC)
バウルさんがいたことで、チームが引き締まった
「数えてみれば、ヴェルディで5年、甲府で3年。長い期間、一緒にやらせてもらった。自分がプロ1年目だったこともあって、最初は本当に怖かった(苦笑)。試合に出始めて、やっと認めてくれはじめたのかな…。ポジションも隣で、本当にいろいろ教えてくれた。バウルさんの言葉や一つのプレーで、チームが引き締まった。最後の笛が鳴るまで全力でプレーできるし、ここまで続けられたことがすごさを示している。それがすべてだと思う。いまでも移籍するときなどはすぐ報告している。この関係はずっと変わらないと思う」
■DF 33 和田 拓也(横浜FM)
目指すというのとは、ちょっと違う感覚
「自分がプロになる前からプレーを見ていた。経験もそうだし、メンタル的にも、自分からしたらレジェンド的な存在。一緒にプレーしたときは頼もしさもあって、素晴らしい選手だった。自分が考えられないような経験もしてきて、場数が違う。 “手の届かなさすぎるところ”にいた存在で、目指すというのとはちょっと違う感覚。自分が18歳のとき、『世の中にはこんなすごい人たちがいるんだな』と思った。でも、違った。いろいろなチームにも行って、いろいろな選手とプレーしたけど、本当にあの人くらいだった。自分がこの年になってみると、あのころのヴェルディにいた選手たちはみんなすごかったんだとあらためて感じる。その経験があって、いま自分がこうしてプレーできているんだと思う。たぶん、あの人はまだプレーできるんじゃないかって。でも、あの年齢までプレーできたこと自体が、信じられない」
■吉田 正樹(東京23FC強化部長)
10歳下の自分を立ててくれた
「監督をやっていた身としては、バウルさんが攻めているところでのリスク管理のところを口酸っぱく言ってくれて、それがチームにとって大きかった。それに10歳も下で監督をする自分を立ててくれて、その男気で助けられた。人柄としては、オンとオフのところの切り替えがすごくあって、ピッチの中では厳しいけれど、練習が終わったら若手ともコミュニケーションをとってくれた。個人的な心残りは、自分が呼んでおいて先に引退してしまったこと。本当に、一緒に試合に出られなかったのが残念」
■FW エスクデロ 競飛王(栃木)
どんな状況でもやることを変えちゃダメだって
「サッカーに対する情熱が、どんな状態でも変わらない人。いろいろなチームにいっていると、そのときの状況とか、周りの人が変わる。でも、バウルさん自身が変わらないから、やっていることは変わらない。それって簡単そうで、すごく難しいこと。人間って、誰かに気を遣ったり、周りを気にすることもある。でもバウルさんは、自分のやりたいことをやりながら、周りにも分からせる。『どんな状況でもやることを変えちゃダメだよ』って、プレーや行動で僕たちに示してくれた。これまで、海外を含めて自分も多くのチームでプレーしてきたけど、バウルさんは本当に特別で、ひときわ違った。プレーに関しては、日本人離れしている。DFはFWを怖がらせないといけないポジションだけど日本人のDFってなかなかボールを奪いに行けない。でもバウルさんは、ボールを奪いに行く。その気迫はすさまじい。『このプレーが最後になってもいいや』くらいの気持ちで、FW側からしたら『自分がケガしちゃうんじゃないか』ってくらいの勢いでボールに向かっていっている。大事な試合では出せる姿かもしれない。でもそれをいつでも、試合であっても練習であっても出せる選手だった。同じピッチにいると、その気持ちは周りにうつっていく。『バウルさんがあそこまで体を張ってくれるから』と、みんなも走れるし、頑張れる。一緒にプレーしたのは半年だけだったけど、兄貴分として慕わせてもらっている。会えば、ずっと一緒にいたかのように接してくれる。本当に大好きな人」
■GK 1 新井 章太(千葉)
後輩はみんな、あなたを目指して努力します
「バウさんの存在は太陽でした。バウさんがいるところにはいつも笑顔が生まれて、会話に花が咲きます。みんな若手からベテランの選手まで、時にはスタッフまでも全員が笑顔になっていました。僕もそんな先輩みたいな存在になりたいとプロに入ってから10年思ってきました。けれど、到底叶いません。あと10年プロをできたとしても及ばないでしょう。
それに加えて、オンとオフをしっかり切り替えられる選手としての鑑でもありました。自分のやるべきことを必ずやる。また後輩へのアドバイスも丁寧にしてくれていました。プレーしていると熱くなってしまいがちですが、バウさんは違いました。的確に説明してチーム全体を良くしようと考えられる人だったなと、この年齢になり、それがすごいことだとわかりました。
そんな誰よりも愛され、誰よりもチームというものを大事にしてくれていたバウさんが引退してしまうのは本当に寂しかったですが、その後輩たちはみんなバウさんあなたを目指して日々努力します。素晴らしい先輩の姿を見てこれた自分たちは幸せです。またこれからもバウさんはずっとサッカー界の太陽でいてください!本当にお疲れ様でした。そしてありがとうございました」
(BLOGOLA編集部)
2020/02/04 21:16