選手には自分の強みを
知ってほしい
―指導者人生をすでにスタートさせています。20年は東京23FCの監督に就任されました。
「自分はコーチタイプだと思っています。ゆくゆくは、トップのレベルでコーチをしたい。でも2年、東京23FCでプレーしたことで、周りの選手の熱いサッカーへの思いを知ったし、彼ら自身がどんどん成長していました。このチームと戦いたいな、と思っていたところで、オファーをいただきました。それなら、監督をやらせていただこうと」
―いま、何を意識して指導されていますか?
「まず、自分の強みを理解してほしい。どこでプレーしたらいいか、自分が何をしたらマイナスになるかなどを考えてほしい。チームのことや、隣にいる人間が何をしたいと思っているかなどを考えて、プレーするべきですから。でも、個人の力がないとチームも大きくならないし、強くならない。社会人をしながらプロになりたいと言っても、何十万、何百万もの人がプロサッカー選手を目指している。しかも、みんなが努力している。ならば、人の3倍も4倍もやっていかないとたどり着けない。小さいチャンスはどこにでもあるし、できるかは分からないけれどそのためにも毎日頑張っていこうと話しています」
―Jリーグチームでコーチになることもできたかと思います。でも、それをしなかった。
「まだ、自分なりにいまの会社に対して何もしてあげられていない。自分がいることで選手たちの力になるだろうし、これまでプレーさせてくれた東京23FCへ恩返しをしたかった。自分の経験を還元したかったんです。それに、これまでJリーグでプレーしてきたチームにお世話になる未来があったとして、指導者としても腕を上げておきたかった」
―人のため、チームのためにやってきたからこそ、今までプレーしたチームに恩返ししていく姿が想像できます。
「『自分に合っていそうなこと、合っていそうな人』と一緒にやってみる、というのが好きですからね。みんなで同じ方向を見て、やってみて、でもできないこともある。最後に『ダメだったな』と言い合うことが好きというか…」
―では、川勝監督のもとで土屋コーチが指導するのは…。
「やってみたいですが、まずケツさんがやりたいかどうか…。もし誘われたならば、それはやりたいですよ!」
―東京23FCでは、どんなチームを作りたいですか。
「やっぱり、人のため、チームのために戦える選手を集めて、そうやって戦えるチームを作りたいですね。いま、リーグの中でもレベルは高くないほうだと思っています。でも、俺はそういう力をもったチームにしたいし、そういう選手を集めたい。もちろん、監督は簡単なわけではない。リーグとしても、簡単でないことは間違いないです。いきなりJリーグを目指すというのも違うし、段階を踏んでいくべきだとも思う。その上で、一番大事な、戦い方のベースとなるものを作りたい。それは当たり前のことだと思います。それでも、誰もができないことでもある。しっかり、みんなとやりたい戦術を共有したい」
―監督としてのチーム作りが楽しみです。
「どこでも、ちょっとうまい選手はいます。でも、そんなの“うまいに入らない”。それに、うまい選手ばかりだと、同じキャラクターばかりになってしまう。チームとしては、それではうまくいかないもの。自分の力をちゃんと理解できる選手の集団になれればいいと思います」
土屋征夫的BEST11
3-5-2
三浦 知良 フッキ
波戸 康広 岡野 雅行
ラモス 瑠偉 明神 智和 名波 浩
北本 久仁衛 闘莉王 那須 大亮
土肥 洋一
土肥(洋一)さんは“壁”でした。代表級。08年に土肥さんと出会ったとき、「すげえな」と。
北本(久仁衛)は弟みたいな存在です。彼がまだ高校生のときから、同じポジションだったこともあり仲良くなりました。コーチや監督のことよりも自分の話を聞くようになったりして、コーチから「バウルから言ってくれ」と頼まれたこともありました。今でもよく連絡をとります。俺らはうまい選手ではない。だから、何をしたらチームに貢献できるかを考えていました。
那須(大亮)と一緒にプレーしたのは1年だけど、すごくやりやすくて。本当はカンペー(富澤清太郎)も選びたかった…。闘莉王とも4カ月くらいしかやっていないけれど、人間的にすごく“合った”。最後、一緒にやれてよかった。
名波(浩)さんにはなんも勝てないっす。これはいつも言うんだけど、「勝っているのは子どもの数だけです」って(笑)。一緒にプレーしたのは1年だけだったけど、よく家まで連れていってもらいました。あれだけの人なのに、すごく気にかけてくれた。いまでも何かあると、名波さんに電話して、相談しています。
ミョウ(明神智和)は、本当にボール奪取力が高い。それに、黒子役をあれだけ徹底してやれる選手は中々いない。ミョウは本当に“無”。文句も言わないし、そういうところもすごい。
ラモス(瑠偉)さんがヴェルディに帰ってきたのが97年。ずっと怒られながらも、育ててくれた。それに、ヴェルディに呼び戻してくれた。ラモスさんが監督じゃなかったら、ヴェルディに帰れなかったと思う。本当に感謝しています。
岡野(雅行)さんは、これまで生きてきて、出会えて良かった人です。あの(田中マルクス)闘莉王が崇拝する人だから。まず、熱い。あの人に出会わなかったら損。会えたら人生が楽しくなります。当時の神戸の雰囲気を変えてくれました。
左はハットさん(服部年宏)か波戸(康広)で迷ったんですけど、「波戸が喜ぶかな」って(笑)。守備のことを考えてSBを選ぶときに、波戸は1対1ですごく強いし、両サイドもこなせる。2歳下だけど、同い年のように仲がいい。
FWには、すごい人がいっぱいいた。フランサもそうだし、永島(昭浩)さん、黒崎(久志)さん、サク(桜井直人)、(平本)一樹…。中でもフッキは、全部もっているFW。強い、速い、うまい。それに、すごくいいヤツでした。
カズさんとは、自分がブラジルに行く前に会っています。サッカーもやっていなかった18歳が静岡であったブラジル留学の説明会に行ったら、カズさんが来て、サインを全員にくれたんです。それでブラジルに行かせてもらって4年間サッカーをして、帰国して加入したチームがカズさんのチーム。ブラジルではどこでも「カズ、カズ」と言われて、カズさんのすごさを肌で感じていました。それで戻ったら、同じチーム。また、神戸でも一緒にプレーできた。やっぱり、キングです。自分も43歳までJ1でやっていたけれど、あのすごさは一緒にプレーした人にしか分かりません。練習からずっと全力。それは60歳になっても変わらないんじゃないかと思う。自分も、少しは似ているところがあったのかな。
俺には技術がないから、メンタルとか、ボールを奪いに行く力を武器にずっとやってきました。それが自分のイメージ通りにできなくなったときに、いる意味がなくなる。でも技術がある選手は、一発で何かができる。それはすごく価値のあることですし、この人たちはマネできないものをもっています。こんなチームに自分は入れない…たとえコーチでも難しい(笑)。
土屋 征夫(つちや ゆきお)
1974年7月31日生まれ、45歳。三菱養和JY→田無工業高→ノロエス
チ→インテルナシオナル→バジェットス(以上、ブラジル)→V川崎→神戸
→柏→大宮→東京V→甲府→京都を経て、18年から関東1部の東京
23FCでプレー。19年10月、現役引退を表明し東京23FCのコーチに。
20年から監督となる。
(BLOGOLA編集部)
2020/02/04 21:16