型はなく柔軟に戦う
――スタイルとしてはいかがでしょう。当時から攻撃的な戦いを志向していましたか?
「何より、ヨハン・クライフが大好きだと常に公言している人間でしたからね。現役時代も攻撃的な選手でした。足元の技術もあり、FWや中盤で主にプレーしていました。
ただ、監督になってからは少し違います。攻撃的なサッカーが強調されますが、実はチーム作りはいつも守備面から着手していきます」
――ホン・ミョンボや宮本恒靖、闘莉王といった選手たちがチーム作りの軸を担ったのも、そうした理由からなんですね。
「そうですね。だから、いまの日本代表だと長谷部(誠)や(吉田)麻也といった選手たちは、西野にとっては大事な存在だと思います。
西野は選手の自主性を何より大事にする監督です。率いるチームとそこにいる選手の特徴によって柔軟に戦い方を決めていきます。彼自身の型は、ないと思います。
彼がずっと言っていたのは、例えば『左利きの選手でも左サイドしかできないような選手ではいけない』ということでした。それが最近では『ポリバレント』という言葉で表現されているかもしれませんが、そこには西野の現役時代の経験も大きく影響しているのだと思います。あの当時から、日立の選手たちは複数のポジションができないといけないという指導を受けていました。
西野もFWだけではなくボランチ、また当時にしては身長があったのでCBをやったこともあったぐらいです。ボールが収まるし、パスも出せる。その意味では、現代のCBみたいなプレーを最終ラインではやっていました。もちろんFWとしても能力は高くて、6試合、7試合連続ゴールを決めたこともありました。そのうちの4点ぐらいは僕の左足クロスから決めたものだったと思いますよ(笑)」
――いまで言う、闘莉王みたいな選手ですね。
「だから名古屋では、彼をすごく重宝していたんだと思います。闘莉王もまさにDFからFWまでこなせる選手。しかもどのポジションでも違いを出せるところは、西野と重なるところがあります。いま、代表で彼が選手たちに求めているものや選手選考の基準になったものは、そうした西野自身のプレーヤーとしての経験が大きく関係していると思います」
(BLOGOLA編集部)
2018/06/23 07:00