27日、現役引退を表明した広島のMF森﨑和幸について、浦和の元チームメートたちが取材に応じた(タイミングが合わず、柏木陽介、李忠成には聞けず)。
最後方から背番号8のプレーを見ていたGK西川周作は、かつての姿を思い浮かべながら口を開いた。「一緒にやってこそ、すごさが分かる。いるといないとでは違うチームになるんです。4年間、一緒にプレーさせてもらって、Jリーグ優勝も経験させてもらった。心強い存在だったし、偉大な選手。まず、相手のプレッシャーを感じずにパスをつなげる。相手のパスコースをわざと空けて、そこでとる技術は今まで見てきた選手の中で一番すごかった」。
同郷のDF槙野智章は「僕が小学校のときから、常に名前を聞いていた人、それが森﨑兄弟だった。ユースでトップの練習に参加していたときから、それにプロでもお世話になった。高校が一緒で、担任の先生が同じ。先生やスタッフも、一番のお手本は森﨑カズさんだと言っていた。一歩、二歩ではなく、すごく先を走っていた人。(自分が)移籍するときも相談に乗ってくれた。実は誕生日が2日違いで、今でも連絡を取り合っているんです。病気などでプレーできない時間もあったが、広島にもたらしたものは多大だと思う」としみじみ話した。
「憧れの先輩だった。引退は悔しいし、さみしさを感じる」と述べたのはDF森脇良太だ。「一つのクラブで長く在籍するのはものすごいこと。人間性も必要ですから。なおかつ、広島のサッカーに与えた影響はとてつもなく大きい。広島のサッカーに森﨑和幸ありと、それくらい影響力があった。練習から強烈だった。周りから見ていたら淡々とプレーしている選手に見えるかもしれないが、1対1をしたら絶対抜けない、奪おうと思ってもボールがとれない。何しろ、止めて蹴るの技術はすごかった。僕にとって、ほんと、(アンドレス・)イニエスタぐらいのプレーヤーだったと思っている」。
各選手、敬愛の表現が止まらなかった。最後に森脇は「広島のとき、車のナンバープレートを8番にしていたら怒られたんです。『なんでお前8なんだよ』と。『8番好きなんスよ』と言ったら『今すぐ変えろ』って冗談交じりに」と、らしいエピソードを加えてくれた。
ピッチ内外でその存在感が絶大だったことはすぐに分かる。育成組織から広島一筋だったレジェンドとプレーできた喜びを、それぞれがかみ締めているようだった。
(浦和担当 田中直希)
2018/10/29 16:25