関東大学サッカーリーグをもっと知ってもらうために、OB選手が大学時代を振り返る連載企画。14回目の今回は流通経済大OBの武藤雄樹が大学サッカーを語ってくれた。
――大学時代の思い出は?
「僕は1年生の時からトップチームに入れてもらい、JFL(05年~10年まで特別枠とした参加。当時のJFLは試験的に大学とJFLの選手の二重登録が可能だった)にも出させてもらって結果を出したり、夏の総理大臣杯でも日本一になったりと、大学ですごく自信をつけることができたと思います。あとはプロになる先輩が毎年のようにたくさんいたので、そのような先輩を見ながらプロに手が届くという気持ちで毎日練習に取り組めました。高いレベルでプレーできた4年間は今の自分にとってとても大事な経験だったと思います」
――流経大の先輩・後輩の関係はどうでしたか? 今、浦和のチームメイトに宇賀神(友弥)先輩がいます。
「寮生活で部屋にいろんな学年の先輩がいるわけですよ。僕の部屋は三門(雄大)さん(横浜FM)、ジュビロの宮崎(智彦)さん、仙台の金久保順さん。あとは水戸や群馬にいた保崎(淳)さんがいました。部屋割りはトップチームのメンバーで組まれるので、今振り返ると全員がプロになった選手。そういう人たちといろいろなサッカーの話もしたし、みんなで一緒に試合を見てああだこうだ言う時もあって、良い経験になりました。寮生活だから上下関係はあるのですが、毎日接していれば段々、家族みたいに何でも言い合える関係になる。だから、そんなに厳しかったとは思いません。むしろ楽しく一緒に過ごせて、その中でちょっとした上下関係を学びました。でもみんな優しかったから、先輩に対してつらいとは思わなかったですね。ウガさん(宇賀神)もめちゃくちゃ優しかったですし。ウガさんとは一緒に居残りでトレーニングをしました。あのころからクロスの練習をしていて、僕も合わせる練習をしていたし、そうやって一緒に競い合って、高め合っていました」
——―先ほど武藤選手は「プロに手が届くという気持ちで練習に取り組んでいた」と言っていましたが、流経大は“プロ養成所”のようなところもあるのでしょうか。
「基本的には、全員がプロになりたいと思って入ってきていることは間違いありません。そこから振り落とされることもありますが、トップにいる選手は、全員がプロに行くために必死になっているし、先輩はみんなプロに進んでいく。さあ、自分もああなるぞ、という鮮明なイメージができていたと思います。プロに内定している選手が紅白戦に出ているわけですから。『じゃあ、この選手を抜いたら俺も行けるんじゃないか』という思いになれることがありました。僕が2年生の時は(当時の4年生の)11人がプロにいったんですよ。紅白戦をやればプロだらけなわけですよ。プロ内定者とずっとゲームをしているのでレベルは高まるし、イメージができますよね」
――そこで揉まれたら確かにレベルは上がりそうです。
「僕が紅白戦でやってきたセンターバックは仙台の鎌田(次郎)さん、松本の飯田(真輝)さん、京都からセレッソに行った染谷(悠太)さん……。(後輩で現・鹿島の)山村(和也)もそうですし。下にもそんなやつがゴロゴロいて(笑)、楽しかったです。他のどの大学よりも、紅白戦のレベルが高かったと思っています」
――1年生の時には総理大臣杯で日本一になりましたが、2年生や3年生の時も関東1部リーグで優勝し、武藤選手が在籍していたころの流経大は強かったイメージがあります。
「僕が入る前の年に1部で初優勝をはたし、ちょうど流経大が関東の中で強豪になった時期でもありました。その分、良い選手もたくさんいて、2年と3年の時はリーグ優勝しましたが、それほど大きな活躍をしたというイメージは持っていないです」
――試合には出ていましたよね?
「ちょこちょこですね。特に3年生の時は出ている試合も多かったけれど、スタメンを外れることもありましたし、たくさん点を取った思い出はありません。ただ、その中で経験を積んで、4年生の時はキャプテンとしてプレーしましたが、今度は結果が出ませんでした(笑)。自分のゴール数という意味では少し結果が出たけど、チームを勝たせることができなかったので、最後は悔しかったというか、苦しい1年間でした」
――苦しい1年間を過ごしながらもプロになることができました。
「大学時代はとにかくプロになるために過ごしていたし、もちろん流経大の中野雄二監督やコーチも、僕たちをプロにするために育ててくれていました。一喜一憂はさせてくれませんでしたね。たとえば関東リーグで優勝したとしても、『お前たちが目指しているのはJリーグで、世界で活躍することなのに、何でここで喜んでるんだ?』とか、それこそ負けた日には『お前たち、プロに行くのに何で大学生に負けちゃうんだ?』というようなことを言われたり。同じ大学生でも『お前らが見ているところは違うんじゃないのか?』とか。僕達のレベルや目標をすごく高く設定してくれていたので、簡単には満足させてくれませんでした。そこが常に向上心を持って大学生活を送れていた要因でもあるので、感謝しないといけないところだと思います。先ほど言ったとおり、4年生の時は負け続けていたので、負ければ『お前たちは成長するために練習しないといけないよな?』と何度となくオフが返上され(笑)。試合が終わったらグラウンドに帰って走り、かなりキツかったです。ただ、それで体を作れたのもありますし、メンタル的にヘコタレない強さもついたと思います。だから流経大には感謝しかないですね」
――そういう部分も流経大を選んだ理由だったのでしょうか?
「基本的に僕は小、中、高と、ずっと自分が中心となってやれるチームにいて、ちょっとお山の大将のような存在でいたんですね。俺にボールをよこせ、みたいな感じでサッカーをしてきました。でもプロにはなれず、どうしようかなと考えた時に、高いレベルで揉まれないといけないなと。その時期に流経大が強くなってきたというのもあったし、部員が200人いることや、寮生活が厳しいという話も聞いていました。そこに行って下から這い上がらないと、高卒でプロになれなかった俺がプロになれる道はないと思って、真っ先に流経大に行きたいと高校の先生に伝えました。」
――その選択は今を考えると正解でしたね
「そうですね。今はこうやってプロになれたというのもありますし、自分が選んできた道を失敗だと思ったことは一度もない。流経大に行ったことは大成功だったと思っています。もちろん大学生活はつらいこともいっぱいありましたけど、今思えば鍛えてくれて良かったなと。『朝7時に走りかぁ』とか、『今から帰ってダッシュ100本かぁ』とか、きつかった思い出はたくさんありますけど(笑)。おかげ様で今、一生懸命走れていますし。もう1回、大学生活をやれと言われたらちょっと悩みますね(笑)。でも終わってみたら、良かったと思っています」
10月17日(土)、18日(日)はJR東日本カップ2015第89回関東大学サッカーリーグの第18節。詳しくは(一財)関東大学サッカー連盟オフィシャルサイトへ!
(聞き手:浦和担当・菊地 正典)
(BLOGOLA編集部)
2015/10/15 15:20