関東大学サッカーリーグをもっと知ってもらうために、OB選手が大学時代を振り返る連載企画。8回目の今回は駒澤大OBの巻誠一郎が大学サッカーを語ってくれた。
photo:Atsushi Tokumaru photo: JUFA/REIKO IIJIMA
■プロフィール
FW 36 巻 誠一郎(まき・せいいちろう)
1980年8月7日生まれ、34歳。熊本県。184cm/81kg。
河江小→小川中→大津高→駒澤大→千葉(当時ジェフユナイテッド市原)→アムカル・ペルミ(ロシア)→深圳紅鑽足球倶楽部(中国)→東京Vを経て昨季、熊本に加入。2001年にはユニバーシアード・北京大会代表として金メダルを獲得。関東大学リーグでは1999年に新人賞を受賞し、4年生の02年には総理大臣杯と関東大学リーグで優勝し、リーグ得点王も獲得した。06年ドイツW杯日本代表。
――なぜ駒澤大に?
「駒澤大は強かったんですよ。僕自身、プロに進めるかもしれないという期待もあったけど、体を作ってスピードもつけて、大学でサッカーを総合的にしっかりと学んでからプロにいきたいという目標を持って進学した」
――在学中はどんな雰囲気でしたか?
「駒大はけっこう走るので、高校に比べても練習はキツかった。一方では自由があった。自主性を求められるというか、自由な時間がたくさんある。もちろん練習は皆真剣にやるんだけど、高校時代の寮生活みたいに1日24時間管理されるわけではなくて、練習以外の時間は自由。それこそ飲み歩こうと思えば飲み歩けるし、女の子と遊ぼうと思えば遊べるし(笑)。そういう意味では、自分のやりたいことができたと思う」
――やりたいことというのは?
「やっぱりフィジカルの部分。入学したころはまだ線も細かったので、体を大きくしたかったし、スピードもパワーも全然なかった。高校までは筋トレもほとんどやったことがなかった。大学にも筋トレの施設はあったけど、物足りなかったので居酒屋さんでバイトしてお金を貯めて、ジムに通いながらトレーナーさんにいろいろ教わった。サッカーの練習が終わったらジムへ行って筋トレをして、プールで泳いで、それからバイトに行って寮に帰る。そういう生活だった。バイト先でも賄いをたくさん食べさせてもらって、1年で10kgぐらい体重も増えた。でもトレーニングがハードだったから、体が重たくならずに、いい具合に筋力や持久力、パワーをつけることができたのかな、と。自分の時間、自分の体と向き合う時間が長かったからこそ、そういうことができたのかもしれない。大津高時代から『1日24時間をデザインする』という考え方を教わっていたこともすごく大きかったと思うけれど、充実した大学サッカー生活だった。僕は4年間を逆算して、プロになるために何をすればいいのかということを考えて過ごしていた」
――先輩や同級生などからも刺激を受けたと思います。
「同期は30〜40人いたと思うけど、その中でも深井(正樹/現・長崎、4年次には同ゴール数を挙げてともに得点王となった)は1年から試合にも出て注目されていた。自分にとっては近い目標で、いい刺激をたくさん受けた。彼がいたから僕もオマケで注目されたので(笑)、彼の存在はありがたかった。プライベートも含めて、僕のアバウトな部分をたくさんフォローしてくれた。同じ経済学部だったので、試験の前には資料を揃えて助けてくれたり、情報をくれたり(笑)」
――同じころ、中央大に在学していた中村憲剛選手(川崎F)がお二人をライバル視していたそうで、新人戦で勝って優勝したのが自慢だそうです(笑)。
「そうなんですか(笑)。でも、僕もそうだったし、駒大の選手は不器用で、何か1つは飛び抜けている部分があるけれど苦手なこともあって……。どちらかというとコンプレックスの固まりみたいな集団だったと思う。自分たちがうまいとか強いとか、そういう意識は本当になかった」
――卒業から逆算しての取組みは成功だったと言えそうですね。
「結果としてプロになれたのでそうなのかな、と思う。けれど深井の存在もそうだし、振り返れば自分一人ではできないことが多かったというのが正直なところ。仲間の大切さや人を思いやること、自分が何をすればチームのためになるのか、そういうことを考えることができた気がする。ある程度は自由があると言ったけれど、それはつまり、サッカーをやめようと思えばやめることもできるということ。そんな中、チームが勝つために何をすれば良いのか考えて、トップチームが練習するときには試合に出られない同級生たちが自主的にボール拾いをしてくれたり、いろいろな準備をしてくれた。そういう部分も含めてチームのあり方を学んだ。それはプロになったいまも大きな財産。大学時代は周りを鼓舞するヤツが他にもたくさんいた。僕はそういう仲間に引っ張られるタイプだったので、彼らを見て学んだところもある」
――関東の大学に進んだからこそできた経験はありますか?
「Jクラブとの練習試合もたくさんあったし、練習にも参加できた。大学にはJクラブの下部組織から来た選手も多く、今までに触れたことのないサッカーに触れることができたのも良かったと思う」
――特に記憶に残っている試合は?
「大学4年でリーグ優勝したときは一体感があった」
――2001年のジュビロ磐田との天皇杯の試合(磐田3-2駒澤大)も伝説と言われているそうですね。
「あの試合は僕が3年のとき。最後にPKを取られてVゴールで負けた。一番強い時期のジュビロだから、結構ちんちんにボールを回されたけど、あきらめずに前からプレッシャーをかけていった。プロ相手に0-2の状況から、僕らは2点返して延長戦に持ち込んだ。もう少しだった。あの試合で僕は両足をつったけど、左右のふくらはぎとふとももをいっぺんにつったのは、あれが初めてだった(笑)」
――巻選手にとって大学サッカーは?
「体も細くて弱かったし技術もなかったので、高校からプロになっていたとしても1、2年で終わっていたかもしれない。だから、大学サッカーでは自分の武器を見つけて研ぎすますことができた。『こういうプレースタイルならプロでも生きて行けるんじゃないか』ということを確立できた、貴重な時間だったと思う」
6月13日(土)、14日(日)はJR東日本カップ2015第89回関東大学サッカーリーグの前期最終節にあたる第11節。詳しくは(一財)関東大学サッカー連盟オフィシャルサイトへ!
聞き手:熊本担当・井芹 貴志
(BLOGOLA編集部)
2015/06/10 09:00