関東大学リーグをもっと知ってもらうために、OB選手が大学サッカー時代を振り返る連載企画がスタート。1回目の今回は東京学芸大OBの高橋秀人が語ってくれた。
■プロフィール
MF 4 高橋秀人(たかはし・ひでと)
1987年10月17日生まれ27歳。群馬県出身。183cm/75kg。図南SC Jr,Y→前橋商業高→東京学芸大を経て2010年、FC東京に加入。12年には日本代表に選出されブラジルW杯アジア最終予選に出場。東京学芸大4年次の09年にはユニバーシアード日本代表の主将としてベオグラード大会に出場し、銅メダル獲得に大きく貢献した。
――4月4日(土)にJR東日本カップ2015第89回関東大学サッカーリーグ戦が開幕します。個人的な大学サッカーの思い出は?
「学生の本分は学業。学芸大の場合は、多くの選手が教員志望で入学してくる。学校の先生になるための勉強をしながら、同時にサッカーもつき詰めていく。その両方を追い求めて頑張れた4年間だった。最終的には、ほとんどの選手が教員になる中で、自分がプロの道に進めたのも、サッカーと真剣に向き合っていた仲間が周囲にいたからこそだと思う。学芸大は当時、特待制度もなく、突出したスター選手はいなかった。だからこそ、全員が協力して相手を抑えなければいけなかった。そういう部分で必然と、全員が手を取り合って協力するサッカーになっていった。戦術とはシステムではなくて“協力の仕方”だと教わった。どう協力したら点を取れるのか、どう支え合えばゴールを守れるのか、選手ミーティングは何十時間、何百時間とやった。それが一番の思い出に残っている。人と支え合い、それをピッチで表現することを学んだ場所だったと思う」
――4年間は今の自分にとってどのような財産になっていますか?
「自分がやるべきことに限りがないと思える。今はスパイクを磨いてくれたり、練習着やユニホームを洗濯してくれる人たちがいる。だけど、大学生のときは上京して自分の身の回りのことはすべて自分がやらなければいけなかった。食事も、洗濯も、サッカーも、勉強も、すべて自分次第。サッカーをするために、すべきことがあると分かった。今までいかに恵まれていたかも分かった。両親がどれだけ自分にいろいろなことをしてくれていたのかということにも気付けたし、コーチや親のありがたみも分かった。ほかの大学には荷物車があったけど学芸にはそれがなくて、メガホンや太鼓はもちろんボール、スクイズボトル、マーカー、ビブスをトランクケースに入れてすべて自分たちで運んでいた。プロに入ってそうしたことをやってくれるスタッフがいて、そういうことが当たり前ではないと思えたし、周囲に対する感謝の気持ちもより強く思えたのかもしれない」
――大学サッカーの魅力は?
「大学生は社会人に比べて自由にできる時間はあるが、その中で勉強もしなければいけないし、アルバイトもしなければいけない。多くの時間がある中で、それぞれが決断をしなければいけない。みんな不安もあるし、楽しさもある。そうした自由さと、不自由さが混在しているからこそ、悩むこともある。だけど、その中でサッカーと向き合っているし、運営や企画も学連(関東大学サッカー連盟)の学生スタッフたちが担っている。自分たちの手でとことんサッカーと向き合っている。年を重ねた今は、そうしたところが面白く思える」
――最後に現役の大学サッカー選手にメッセージを。
「時間はあっという間に過ぎていく。時間がいくらあっても足りないと思うぐらい、何かにとことん向き合ってほしい。それはサッカーに限らず、真剣に取り組むことで得られることはたくさんあると思っている。インターンやアルバイト、ボランティアがサッカーに生かされることもある。時間を有効活用できる4年間を大事にして、とにかく勇気を持って立ち止まらずいろいろなことをやってほしい。それが社会人になって整理されたときに、あのときの経験が今に生きていると言える。いろいろなことに興味を持って実践してほしいと思う」
4月4日は関東大学サッカーリーグの開幕戦。詳しくは(一財)関東大学サッカー連盟オフィシャルサイトへ!
聞き手:馬場 康平
(BLOGOLA編集部)
2015/04/02 13:11