1993年5月15日。記念すべきJリーグの開幕は、清水の主将として迎えた三浦泰年監督。しかし、“三浦選手”は、三ツ沢球技場で行われた横浜Fとのオープニングマッチのピッチに立つことはなく、甲状腺機能亢進症(バセドウ病)の治療のため、華々しい開幕戦だったV川崎vs横浜M戦も病室から眺めていたという。
「大きな手術を受けた数日後に、Jリーグの開幕を迎えた。国立が見える病室で花火が上がっていたね。TVを見ると、カズはドレッドヘアだった(笑)。V川崎にはブラジル人選手ではなく、金髪のオランダ人選手がいた。あれからあっという間にもう20年が経ったんだな」。熱血の指揮官は、そう言って当時を懐かしんだ。
開幕戦には出られなかった三浦監督だが、開幕戦から約2カ月が経過した7月3日、清水のホーム・日本平で“Jリーグデビュー”を飾った。清水が市原を3-0でリードしていた後半、途中出場を果たした三浦。当時のことは鮮明に記憶に残っているという。
「実はJリーグでデビューしたという喜びよりも、サッカーをできた喜びのほうが大きかった。26cmのスパイクの紐を結んで、それをはいて、ピッチに足を踏みしめることを確認する。初めてサッカーをやる少年のような感覚だった。もう20年か…」。
また当時の自身のプレーを振り返った三浦監督は、誇らしげに語る。「僕のスルーパスでケンタ(長谷川健太・G大阪監督)が点を取った。僕のJデビュー戦で、僕のアシストからゴールを決めたことなんてケンタは覚えていないでしょ(笑)」。そう言って三浦監督は相好を崩した。
(東京V担当 郡司聡)
2013/05/10 18:05