「批判の声もすごくありがたいなと」
ここに、貴重なコメントの数々がある。
オランダのVVVフェンロに移籍する前年の07年、本田はインタビューに答えた。翌年の2008年には北京五輪を控え、当時の日本代表監督であったイビチャ・オシム氏の目に止まり、代表にも選出され始めたころでもあった。
あらためて、当時の本田の声を聞き返してみる。すると、若々しさや初々しさはあるものの、現在世界で戦う彼と変わらぬ思考を、そのころから抱いていたことが分かる。いまから7年前に本田が残したその言葉たちを紹介する。
──ちょうど日本代表(オシムジャパン)合宿を終えた直後です。感想は?
「まあ3日間だけでアピールしなきゃならない状況やったんですけど、最近のJリーグでの結果の割には、自分のプレーはできていたところがあった。ホッとしている部分はある。もちろん“してやったり”な部分もありましたけど。今後も代表に選ばれ続けるかは決まってないですけど、あそこでプレーすることには幸せな思いがありますし、せっかくのチャンスなので思い切りやってやろうという前向きな気持ちがあった」
──プレーに対する周囲の評判もまずまずだったと聞きます。
「いや、どうでしょう。俺が良かったというよりは、代表はやっぱり周りの選手がうまいから、自分がすごく生きていたというだけのところもある。分かりやすく言えば、自分をカバーしてもらえていた。悪く言えば、俺はみんなをカバーする余裕はない。そういう課題は残った。グランパスに帰ってきて、そういうふうに周りをカバーしながら結果を残さないとダメだなと痛感しました。まあ、いまは代表では俺はまだ1分でも試合に出るために何をすればいいかを考える立場なので。余裕はないです」
──A代表や五輪代表、チームと、それぞれプレーの感覚は違うと。
「例えば、代表でプレーしているときと、グランパスでしているときの自分の物差しは分けていて。こっち(グランパス)ではやっぱりいろいろな役割が自分には要求されているので、その中でも自分個人の能力をしっかりと出さないといけない。いろいろな要求をされるということは、そのぶん、体力も消耗する。それでもポテンシャルの高さを示していくことは、非常に難しいことだと思う。自分だけのプレーをしていてはいけないわけですから。そういう部分が、チームと代表では違う。プレッシャーの掛かり方が違う。こんなんじゃ満足できないなという思いを持ちながら、チームではやっている」
──チームや代表では最近は左サイドでプレーする機会が多くなってきています。本来はトップ下や中央でのプレーを望んでいると思いますが。
「僕の使い方は、どの監督も最近は似てきていますよね。少しは中央でもプレーすることも出てきたけど、セフ(フェルフォーセン元名古屋監督)も基本はサイドで使うし、ソリさん(反町康治現・松本山雅監督。当時U-23日本代表監督)もサイドでしかいまのところは使わない。割りと役割はハッキリしています。もちろん自分の理想とのギャップは感じている。でも、根本的に言えば、自分の高校時代からの考え方が甘かったな、それで終わるので。高校のときに持っていたスタンスでは、どう考えてもここでは通用しない。そのまま上に上がっていくことはあり得ない。そこは自分の中で整理している。当然自分の理想というものが先走っていたので、それに到底追い付かないのが現状だけど、そこはね、当時の考え方はいま求められるサッカーとは完全に異なるスタンスでもあったから。いまは走るサッカーがベースとして選手に求められるもの。もう割り切ってね、以前の自分の考え方に未練もないし。一歩先、一歩先のレベルに到達するためには何が必要なのかを追求したい。パスの出し手だけではなくて受け手の立場になることも考えるようになっている。やっぱり、どちらもできなきゃいけない自分にならないと。そう思えるようになったのはプロになってから、そしてオシムさんに会ってからかな。変わってきていますね、自分が」
──それでも、変わらない自分の武器もあると。
「やはりFKだったり、アシストにしろ得点にしろ、結果を残すプレーヤーなんですよ、俺は。だから何だかんだ言っても結果が出せないと責任を感じるし、試合に負けてもそう。そういう感情は、最近はどんな試合でもチャンスに絡めているだけに、すごく確立されてきた。もちろん自信を持って自分のプレーをしていく、それが自負でもあり、生きがいでもあるので。走ることに関しては、まだ自信がそれほどあるわけではない。その求められている能力に必死に食らい付いていくところはいく。それとは別に、自分の持つ特長がある。それを全部含めて、サッカーなのでね。どこで、何を求められ、何を出せるか。左足のキックで結果を残す自信が俺にはあると自覚しているので、そこへの迷いはない。走ることは自分に足りないことだから、そうしたネガティブな問題はもう必死にやるだけ。迷わずにね。あとはFKだけでなくて、プレーの中での攻撃、ボールを触っているとき、ボールをもらうときの動きももっと見てほしい。面白いサッカー、レベルの高いサッカーを自分は目指している。それが先につながる。先を目指せるサッカーを追求してやることが、いま一番大切にしていることなんじゃないかと思う」
──周囲の声や視線が気になるのでは?
「周りの声を気にしないというのは嘘になる。実際に気にしているほうだと思う。周りの期待に応えるというのは、プロであるならば追求していかないといけないところ。いま、プレーしている立場として、自分は何一つ迷いはない。あとは北京五輪の最終予選でしっかり結果を残して、周囲を見返してやろうという気持ちになれている。だから批判の声もすごくありがたいなと。勝っても安心する余裕を一つも与えてくれないわけですから。僕にとっては勝つために必要な声やと思う。五輪は一番上の大会ではないので、良い土台にしたい。良い通過点にできれば。でもA代表でプレーするほうが憧れやし、それを誇りに思っているから。五輪は出て当たり前。なめているわけではないですけど、それくらいに思っていますよ。こんなところで転んでいるようじゃ、とは思われたくないですから」
この翌年に行われた北京五輪で、日本は惨敗を喫してしまった。米国、ナイジェリア、オランダ相手に3連敗。本田は3試合すべて左サイドで先発したが、目立った活躍はできず。チームとともにノーインパクトのまま、大会からひっそりと姿を消した。大きな目標を口にしながらの、敗北。そして彼は、大会敗退のスケープ・ゴートの一人にされてしまった。
(BLOGOLA編集部)
2014/06/01 12:18