(以下、質疑応答より抜粋)
――オファーを受けた日付と、決意した日付は。
「2日にクラブに文書が来て、その話を社長から聞きました。『10日の理事会でかけたいのでそれまでに決断してほしい』という話で、時間のない中でいろいろ考えさせていただきました」
――今のお気持ちは。
「普通です(笑)。やはりシーズン中だし、今週の天皇杯に頭は八割方あります。今はベガルタの仕事をしっかりやり切りたいという思いと、日本サッカーのためにこれから仕事をするんだというモチベーションを、これからどんどん作っていかなければいけないなと思います。日本サッカー協会は2050年にW杯での優勝を目指しています。自分としては、2050年という目標ではなくて、それよりも早い段階で日本がそうなれるような仕事をやれればと考えながらやっていければと思っています。自分は常に、仙台にいれば東北のために、日本五輪代表で仕事をすれば日本のためにという思いで仕事をしていきます。日本の強さを世界に知らしめられるような指導を心がけていけたらと考えます」
――協会の方から期待されたことは。
「ものすごく自分のことを調べていたなと感じています。山形時代からコーチに就任して、大分に移籍して、そこでどんな成果があって、仙台に来てからどんな経歴を積んだかと言うことに対して、そしてオフ中に海外に勉強に行っていることをものすごく協会の方々が知っていて、これまでに(コーチとして)就いた監督の多さ、トップチームでの指導歴、監督になってからのベガルタ仙台での成長の仕方、あとは記者会見でのコメント、ACLでのコメント、そういったところも全部見ていた中で、『お前にした』という話でした。チームのビルディングアップの部分を見てくれていたので、『大事な世代(の選手たち)をしっかり育ててほしい、将来の日本代表戦士を作ってほしい』と」
――具体的に代表監督の仕事はいつからですか。
「来年の1月にアジア選手権がオマーンであります。『それをまずやってみてはどうか』と言われました。ベガルタでは1月1日(天皇杯決勝戦)まで仕事をするつもりなので(笑)、そのあとにそっちの仕事に早速取りかかることになると思います」
――選手たちの反応は。
「一部の報道でそういう呼び水みたいなものがあったので、今日しゃべったときにはものすごく落ち着いていました。『ああ、やはり受けるんだ』という表情をしていたし、『自分はみんなとやれる期間というものはもう限られた日数と限られた時間しかない』という話をして、『ぜひ最後にいい仕事をしよう』という話をしました。みんな、落ち着いていましたね」
(仙台担当 板垣晴朗)
2013/10/11 07:00