スポーツメディア18社が協同する「DAZN Jリーグ推進委員会」の連動企画、「THIS IS MY CLUB ‒ FOR RESTART WITH LOVE -」。
エル・ゴラッソでの第1回は、群馬。
在籍最長選手である舩津徹也と、クラブを再生した奈良知彦社長にインタビューを行った。
コロナ感染のサッカー選手として、
僕が最初にピッチへ戻る
I N T E R V I E W
DF 2 舩津 徹也(ザスパクサツ群馬)
取材日:6月16日 取材・文:伊藤 寿学
写真:J.LEAGUE
あふれんばかりの闘志をむき出しにして相手を止める守備のユーティリティー、舩津徹也。富山、C大阪、山形でのプレーを経て、16年に群馬へやってきた。その年、チームは瀬川祐輔(現・柏)ら攻撃陣と、舩津ら守備陣のバランスが整いダークホースぶりを発揮した。だが翌17年、チームはJ3へ降格、どん底に叩き落とされた。
主力選手の何人かが移籍を選択する中でチームに残ると、持ち前の明るさと責任感を前面に出して群馬をけん引。1年でのJ2復帰は果たせなかったものの、J3の荒野で決死のプレーを見せて昨季のJ2昇格に大きく貢献した。舩津にとって今季は3年ぶりのJ2の舞台だったが、開幕直後にコロナ禍によってリーグは中断。
そして、不運にも舩津本人が新型コロナウイルスに感染し、約2週間の入院生活を余儀なくされた。幸いにも軽症だったものの退院後の自宅待機、自主トレを経て6月から全体練習に合流。チームメート、医療従事者のサポートによってピッチに戻った最古参ファイターは、特別な思いでJリーグの再開を待つ。
J3で、プロチームとしての土台ができた
――群馬在籍5年目。チーム最古参となっています。
「山形をアウト(契約満了)になって、自分自身、初めてトライアウトに参加しました。年齢も30歳に近づいて不安がありましたが、そのときに最初に声をかけてくれたのがザスパでした。1年1年が勝負だと思っていたので、正直、先のことは考えられませんでしたが、気付けば加入して5年が経っていました。J3降格J2復帰など、この5年間、本当にいろいろなことがあったのですが、すべてが自分を成長させてくれたと考えています」
――群馬で印象に残っていることは?
「17年にJ2からJ3へ降格したときのシーンです。思い出に残っているというか、悔しさとともに胸に刻まれています。それまではJ3でプレーすることを考えてもみなかったので、自分の力不足とかいろいろなことを痛感させられました。これまでチームを支えてくれたOBや応援してくれたファン・サポーターに申し訳ないと思いました」
――J3降格時に移籍した選手もいた中で、群馬に残りましたね。
「いろいろな選択肢がありましたが、自分たちが落としてしまったので『もう一度、自分たちの力で上がらないかん』と感じました。移籍に正解はありませんが、自分の場合は、もう一度J2に戻すことが責任であると考えました」
――J2時代の18、19年でクラブが変わりました。
「18年、奈良(知彦)社長、布(啓一郎)監督の新体制になりました。クラブ、チームとして規律ができて、プロチームとしての土台ができていったと思います。布監督は、若手、ベテラン問わずにクラブハウスの掃除をするように促してくれて、僕らが率先してやっていきました。細かいことですが、そういう部分からチームが変わり、一つになっていけたと感じています」
――J3の2年間で学んだことは?
「戦い方がまったく変わりました。J2では、格上チーム、もしくは同等レベルの相手にどう戦うかが重要でしたが、J3では僕らが上になります。J2では守備的な戦いを強いられる試合も多くありましたが、J3では必然的に攻撃の時間が増えていきます。その状況で、勝つためにはどうすればいいのか、みんなで考えていきました。ゼロからチームを作り直す作業だったと思います。J3はハードワークが求められる場所で、僕ら自身も成長することができたと思います」
――19年の最終戦でJ2復帰を決めました。
「18年にJ2昇格を果たせず、勝負の2年目でした。昨季は秋まで首位を走っていましたが主力のケガで苦しい状況となり、シーズン終盤は“負ければ終わり”の場面まで追い込まれました。そんな中で残り3試合で3連勝して、最終戦で昇格を決めることができました。いま振り返ると、なんて言ったらいいのか分からないくらい“すごい出来事”だったと思います。最終戦のアウェイ福島戦は多くのサポーターが駆けつけてくれて、あのシーンを見たときに『やってやろう』と思いました。降格を味わった選手は、僕と岡田翔平選手の二人だけだったので、昇格が決まった瞬間はホッとしました。うれし涙を初めて経験させてもらいました。やり遂げたときの気持ちは最高でした」
――32歳でのJ2昇格。J3の2年間で選手として成長を感じました。
「J3での2年間で、チームとしても選手としても成長できたと感じています。20代は勢いでサッカーができていましたが、30歳を過ぎて考えることが増えました。体のケアを入念にすることに加えて、監督が提示してくれるメニューの意図などをしっかり理解して練習できるようになったことで、サッカーをより楽しむことができています」
コロナ感染からの完全回復
――コロナ禍で今季のレギュレーションが変更となり、降格がなくなりました。チームとしてチャレンジできる反面、ベテラン選手にとっては難しいシーズンになるかもしれません。
「当初のチーム目標である『J2残留』はなくなりましたが、僕らは上を目指していきます。奥野(僚右)監督は、来季のために若手(主体に)移行するのではなく、年齢に関係なく、コンディション、パフォーマンスのいい選手、チームの勝利に貢献できる選手を使っていくと明言してくれています。そこは、やりがいがありますし、逆に責任を感じていました」
――その状況下、4月1日に新型コロナウイルス感染症の陽性判定が発表されました。
「感染が分かったときは、まさかと思いました。そして、自分が感染してしまったことによって、チーム全体の活動が停止になってしまいました。ケガであれば自分一人が離脱すれば済む問題ですが、今回はチームメート全員に迷惑をかけてしまいました。そこに関しては申し訳ない気持ちでいっぱいです。サッカー選手は、一年一年が勝負ですし、仲間のキャリアに影響を与えてしまうかもしれないことに怖さを感じました。チーム内に感染が拡がらなかったことで僕自身も救われました」
――自粛生活、自主トレでの変化は?
「4月中旬に退院してから、しばらく自宅待機になっていました。入院中はまったく動けませんでしたし、自粛期間中はほかの選手以上に自主トレをやったつもりです。正直、J2に戻れたことで、安堵というか、今季は現状維持でいいかなという甘さがあったのですが、自粛期間で、生活、練習面のすべてを見直すことができました。そのおかげで練習再開後の体力測定ではチーム上位につけることができました。年齢に関係なく、自分次第でまだまだ成長できると強く感じました。それはコロナ感染によって、気づいた点です」
――体力回復のために心掛けたことは?
「5月上旬からグループ別の自主練習がスタートしたのですが、それとは別に、同じ年齢の渡辺広大選手、林陵平選手と集まって、“2部練習”で走り込みをやっていました。もちろん、『3密』を避けた上ですが、3人一緒に集まったことで、お互いを励まし合って限界までチャレンジすることができました」
――コロナ復帰からチーム合流時、ほかの選手の様子は?
「初日の練習前に、僕からは『迷惑をかけてすみませんでした』と伝えさせてもらいました。そのあとは、僕のキャラもあるのですが、みんながイジってくれて(笑)、温かく迎え入れてくれました。このウイルスについて、みんなが理解してくれていて、僕も気遣いすることなくチームに戻ることができました」
――リーグ再開後は、ウイルス感染から復帰したアスリートとしての責任があるかと思います。
「まずはクラブ、チーム、ファン・サポーター、そして医療従事者の方々のためにも、僕が責任ある行動、プレーをしなければいけないと感じています。J2は、J1よりも早い再開なので、コロナ感染のサッカー選手としては僕が最初にピッチへ戻ることになります。回復後に、また普通に練習ができて、普通に試合に出場できることを、多くの人たちに知ってほしいと思います。『コロナに感染したからダメになった』とは言われたくないので、自分のプレーで答えを出したいと思っています。今後、どんなアスリートも感染するリスクはあるわけなので、自分が頑張ってプレーすることでスポーツ界全体、社会全体に明るいメッセージを送りたいと思います」
――J2は、6月27日に再開。群馬は水戸と対戦します。
「いまは試合ができる喜びを感じています。自分はその喜びが一番大きいかもしれません。最初はリモートマッチになりますが、再開が待ち遠しいです。また多くの方々の協力によって再開を迎えられることへの感謝を忘れてはいけないと強く思います。自分がプレーするのも楽しみですが、仲間たちのプレーを見るのも楽しみです。今季、いい意味で降格がないので、僕らはどんな相手にでもチャレンジしていけます。ワンプレーワンプレーを大切にしてファン・サポーターに一つでも多くのゴール、勝利を届けることで、サッカーの面白さ、魅力を伝えていきたいと考えています」
舩津 徹也(ふなつ・てつや)
1987年2月9日生まれ、33歳。大阪府出身。178cm/68kg。道明寺中→立正大淞南高→びわこ成蹊スポーツ大→富山→C大阪→富山→山形を経て、16年に完全移籍で群馬に加入。J1通算12試合出場。J2通算219試合出場15得点。J3通算58試合出場1得点。
(群馬担当 伊藤寿学)
2020/06/26 10:13