日本代表のオフィシャルスポンサーからオフィシャルパートナーとなったキリングループは、「サッカー日本代表応援WEEK2015」というプロジェクトを発足した。
その一環として、未来の日本代表が強くなるためのアイデアを広く募集している。第一弾は「選手の育成」。自身も育成年代に指導者から受けた一言が「金言だったかも」と語る川崎Fの中村憲剛選手。彼に今回のキャンペーンとサッカー界の育成について話を聞いた。
-まずは、育成についてのアイデアを広く募る「日本代表応援WEEK2015」のキャンペーンについてはどう思いますか?
「良いと思いますよ。なかなか新しいですね。こういうのをみんなでやっていければ良いんじゃないかなと思っています。何もやらなければ何も起きないですから。こういうふうに動き出すことでいろいろなことにつながっていくと思うので。面白い意見を持っている人がいますからね。天才がいますから、世の中には(笑)」
-実際に様々な意見が集まっているようです。
「日本ってなかなか難しいんですよね。世界大会に出るためには当たり前ですが、まずアジアを通らないといけない。でもアジアはグラウンドをはじめ、環境が悪い。これはけっこう難しい問題です。現在の日本の育成年代は、整備されたグラウンドでサッカーをしている。アジアを勝ち抜くためには、子どもたちがボコボコのグラウンドなど、環境の悪さにもアジャストしていけるような質(の選手)にならないといけない。球際で戦うチームや、ハングリーなチームに対して、そういう部分を質で凌駕していかなければいけないのだけど、その質を発揮できるピッチコンディションじゃないときに負けている。だから、環境が整っている日本のグラウンドで練習する以上、選手たちの意識を変えていくしかない。柔軟性のある選手を指導者が育てなければいけないと思います。どんなところでも技術を発揮できる子を、人工芝のピッチで育てないといけない。これは本当に難しいことだと思います(苦笑)」
-中村選手にはパスなど秀でた武器がありますが、実際、育成年代時のトレーニング内容で印象に残っていることはありますか?
「そうですね…。サッカー協会の指導要綱が自分たち選手に降りてきたのは高校くらいからでした。それもたまたまなんです。高校の時の監督が山口隆文先生で当時日本サッカー協会の仕事をされていた。先生がいたから降りてきた」
-いまは知ることができる媒体や素材が多くあります。
「ただ一つ、ブレてはいけないのは、子どもたちが自分で考えて『自分という選手がどういう選手か』というのを知って、『どうすれば試合に出られるか』というのを考えるということ。誰が監督でも、誰が指導者でも、それは関係ない。良い選手は試合に出られる。子どもたちに必要なのは『考える』という部分だと思います。順応性と柔軟性ですね。選手は、変化していかなければいけないんです。『俺はこれだ』というのを決めてそのまま行ける選手はほんの一握りですから。だいたいの選手はチームメートにうまい選手がいたりとか、監督と合わなかったりなど壁にぶつかります。でも試合に出られないと進歩していかない。自分でアジャストしていくことが必要で、そうすると、監督から重宝される。『こいつ、分かっているな』と。指導者も、子どもも変わらなければいけない。『ああしろ』『こうしろ』と言われて『ああする』『こうする』ではなくて。『監督はこう言うけど、こうしたほうが面白いんじゃないかなと思う』というような子がいても良い。それで良いプレーができたら指導者はほめてあげてほしい。」
-では中村選手は順応していくタイプだったのですか。
「それ以前の問題でしたね。プレーができなかった。小さくて細いし。だから、みんなが考えないようなことを自分は小さい頃から考えていました。どうやったらこの身長とフィジカルで試合に出られるか。足元の技術を磨くこともそうだけど、磨くためにはどうするか。それを高校時代から考えていました」
-そうではなくて、「俺はこのままでいく!」というような頑固な選手はいるんでしょうか。
「ほとんどいない。みんな挫折して、つぶされる。いまの代表のトップの選手はみんなそうだと思います。みんなどこかで折れている。だけど、そこからはい上がっていった。だからみんな強いんです。誰が監督でも試合に出られる。選手が自主性を持つことが育成にとっては大事だと思います。それは教育論にもなるかなと。家庭での教育もそうだし、自分の思ったことをちゃんと話せるようにしないといけないなとも思います」
-考えさせるシチュエーションを指導者が作るということでしょうか。
「だから、我慢することも大事になってくるかなと。指導者がいろいろ言いたいのは分かります。けど、それを我慢してみる。言ってしまうと、子供は言われたことしかやらなくなってしまう」
-では、育成時代で指導を受けてきた中でインパクトがあった体験などはありますか。
「高校時代でしょうか。俺は最初、監督に何でもかんでも聞きに行っていました。高校1年生のときです。当時は160cmもない身長で、小さかった。『どうやったらボールをもらえますかね』と監督に聞いていました。多分、鬱陶しかったんだと思いますよ(笑)。『自分で考えろ!』と(笑)。それが金言というか、自分にとって一番良かった言葉だと思っています。もちろん自分で考えてはいたのだけど、指導者に『求めていた』部分があった。ただ自分で考えろと言われたときに、『あ、足りてないんだな』と。自分の考えが浅いと思ったし、もっと研究しなければいけないと思いましたね。そこから自分の映像を見たりとか、練習中にいろいろと考えたりとか…。すごく変わりましたね」
-逆にそのときに細かく教えられていたら…。
「自分で変化を起こせない選手になっていたと思います。あの言葉がなければと思うと怖いですね。結局、力を出せるのはチームのために何をするべきか考えられる選手です。『俺が俺が』の選手は芽が出ない」
-この先、指導者にはなりたいですか?
「なりたいですけど、まだまったくイメージがわきません。子供には触れてみないとわからない部分がありますからね。それぞれに個性もあるし。どの年代であっても、ニーズがあればやってみたい。自分の中でいろいろなタイプの監督を見てきて、蓄積というものはかなりある。そういう部分を出せるかどうかだし、それをそのうち出さなければいけないときが来ると思っています」
-では最後に、日本サッカーを担う子どもたちへのメッセージをお願いします。
「考えること。自分を知って、どうなったらうまくなるか、人に言われてからではなく、自分で考えることだと思います。与えられた答えがすべてではないし、自分が面白いと思ったら『それもいいんじゃない?』と。常にアラート(危機意識を持って)でいろと。ニュートラルに近いのだけど、常にどうなっても良いように。変化に対応できるようになってほしい。子どもたちって振れ幅が大きいのはわかるけれど、その調子の振れ幅を高い位置で安定させるのがプロだから。そこを目指してまでとは言わないけど、近づいていってほしいとは思います」
中村 憲剛(なかむら・けんご)
1980年10月31日生まれ、34歳。東京都出身。175cm/66kg。
小金井第二中→久留米高→中央大を経て、2003年に川崎Fに加入したMF。2010年南アフリカW杯の日本代表。J1通算320試合出場47得点。J2通算75試合出場9得点。日本代表として国際Aマッチ通算68試合出場6得点。
※応援WEEK期間中のキリンビール缶商品(ビール・発泡酒・新ジャンル)、キリンビバレッジ商品(自動販売機、チルド、ギフトを除く)の出荷本数6本につき1円が対象となります。但し、キリンビールから5月26日に発売するサッカー日本代表応援缶につきましては、出荷全数を6本につき1円の対象とさせていただきます。
現在キャンペーン公式ホームページにて、未来の日本代表を強くするために何が必要かというテームで、ファン・サポーターのみなさんからアイデアを大募集中!
(BLOGOLA編集部)
2015/05/18 13:49