「3月11日」が近付いてきた。東日本大震災から5年が経過しようとしている。12日に仙台との試合を控えることもあり、同じ被災地である茨城のJ1鹿島の小笠原満男が記者会見に臨んだ。
このオフも、自らが主宰する「東北人魂」の活動や、Jリーグのふれあい活動で東北の被災地を訪れた小笠原。5年前の震災が起きた日は、清水とのアウェイゲームに向かうため高速道路を走るチームバスの車内にいた。
「高速道路でバスが止まった。テレビが付いていたので情報源はそれだけだった。いろいろな人に連絡したけれど誰にもつながらなかった」
居ても立ってもいられず数日後被災地へ向かう。目に入ってくる息を呑む光景。避難所に立ち寄るも、なんと声をかけていいのか分からず、逆に「どうしているの?」「サッカー、頑張ってね」と声を掛けられた。力になるつもりがなにもできず、逆に力をもらったことを、「いまでも避難所に行ったことが正解だったのか分からない」と自問し続ける。
あれから5年が経過しようとしている。
「なに不自由なく生活してきた俺と、被災地の人の5年は違う」と前置きしつつ、いまだに仮設住宅で暮らしている人も多いことなどを挙げて「とてもじゃないけど復興したとは言えない」「人間なんだからどうやっても忘れていってしまう。でも、1年に1回思い出してほしい」と訴えていた。
(鹿島担当 田中滋)
2016/03/09 11:48