関東大学サッカーリーグをもっと知ってもらうために、OB選手が大学時代を振り返る連載企画。11回目の今回は国士舘大OBの塩谷司が大学サッカーを語ってくれた。
■プロフィール
DF 33 塩谷 司(しおたに・つかさ)
1988年12月5日生まれ、26歳。徳島県出身。182cm/80kg。南小松島FC→大松SC→大塚SC→徳島商高→国士舘大→水戸を経て2012シーズン途中に広島へ加入。国士舘大4年次に本格的に柱谷哲二(前・水戸監督)がコーチに就任すると、無名の存在でボランチとしてプレーしていた塩谷はレギュラーCBとして抜擢され、一から基礎を叩きこまれた。翌年、柱谷の水戸監督就任が決まると、Jクラブからオファーがなかった塩谷は水戸に引き抜かれ、今に至るシンデレラ・ストーリーが始まる。日本代表。国際Aマッチ2試合出場。
――大学生活を振り返って一番最初に思い浮かぶことは?
「めっちゃきつかったってこと(苦笑)。もう、本当にめっちゃ走りましたから。オフ明けは絶対に素走りをするのですが、正直に言うと当時はかなり嫌でした。素走りは得意ではなかったし、1年生のころからずっとやってきて相当きつかった。当時はかなり文句も言いながらやっていたけれど、いま思えばやっておいて良かったと思いますよね。やっぱり積み重ねは大事です。あのころの素走りが今にすごく生きているなと思います。いま思えば、ですけどね(笑)」
――特待生推薦という形で入学したけれど、最初からプロ志向は強く持っていた?
「特待生で入りはしましたが、僕はエリートというわけではなかった。最初に入ったときは『こんなにうまい選手がいるんだ』と感心してしまう人たちばかりだったし、試合にもほとんど出られない状態で大学生活を過ごしていました。だけど、本当に何があるか分からない。僕は、ひとつの出会いなどで変わってくることがたくさんあると思います。関東大学サッカーリーグの1部、2部の大学にくる選手というのは能力のある選手ばかりなので、もしかしたら自分が社会人として働いていて、違う誰かが広島でサッカーをしていてもおかしくないと思います。大学サッカーはそれくらいレベルの高いところですから」
――塩谷選手にとっての出会い、きっかけとは?
「試合に少しずつ出られるようになったのが3年生の後期くらいからだったけれど、1年生の時から俺は絶対にやれると思っていました。ずっとそういう気持ちを持ってやっている中で、3年生の終わりのころにテツさん(柱谷哲二)が(コーチとして)来られた。僕にとっては、このテツさんとの出会いが大きかったなと思います。最初は本当に怖かったし、練習も一段ときつくなったんですけど、4年生の1年間と水戸での2年間が僕にとっては本当に大きかった。だから、大学サッカーは本当に何があるか分からないと思うんです。1年生のときから4年生のときまでずっと試合に出ていても、プロにいけない人もいる。運というか、きっかけをうまく生かすか、それとも逃してしまうのかということがすごく大きいと思います」
――チャンスが転がっている4年間ではありますよね。
「そうですね。そこら中にチャンスが転がっていて、それを拾えるか拾えないかは本当に自分次第になってくると思います。Jのチームと練習試合をする機会も多い。僕は柏レイソルと練習試合をしたときにすごく調子が良くて、柏のスタッフの方に『なんでアイツが試合に出ていないんだ』と言ってもらったことが自信になりました。本当に誰がどこで見ているか分からない。関東大学リーグにスカウトが来ていないときはほとんどないから、そのチャンスをつかめるかどうかだと思います」
9月19日(土)、20日(日)はJR東日本カップ2015第89回関東大学サッカーリーグの第14節。詳しくは(一財)関東大学サッカー連盟オフィシャルサイトへ!
(聞き手:広島担当・寺田弘幸)
(BLOGOLA編集部)
2015/09/17 19:03