プロ生活をスタートした仙台では入れ替え戦で敗れた悔しさ、J2優勝の歓喜、未曾有の大震災など、さまざまなことを経験した。飛躍を期して移籍した浦和では出場機会に恵まれなかったが、そこで学んだことがプレーの幅を広げた。そして今季、関口訓充は自分の価値を証明するため、チームをJ1昇格に導くためにC大阪にやってきた。かつてJ1昇格を経験した自身の体験を踏まえ、関口はJ2を勝ち抜くために必要なモノについて語ってくれた。
聞き手:小田 尚史 取材日:3月26日
─加入してまだ3カ月ですが、もうすっかりチームに溶け込んでいる印象です。
「そうですね。みんな明るいですし、俺から話さなくても輪の中に入れてくれた、っていうこともあります」
─「浦和ではチームに入るのに少し苦労した」ということも、以前、話されていました。
「苦労したというか、浦和はベテラン選手や代表クラスの選手も多く、個性あるチームだったので、その中で多少遠慮していた部分もありました。だからここでは最初から自分を出していこうと思っていました」
─今季のC大阪はベテラン選手も若手選手もいる中で、関口選手は中堅的な立場になりますが、ご自身の立ち位置を意識することはありますか?
「自分のやってきたことを伝えながら、ピッチでも表現して、それを見てどう感じてくれるかだと思うので、立ち位置的なことはあまり意識していないですね」
─練習では声を出す姿が目立ちます。その辺は意識的に、ですか?
「元々、声を出すタイプだったということもありますけど、最初、セレッソは少し静かな感じがしたので。練習にしても、ただやるのではなくて、その練習が試合でどう生きてくるかだと思います。J1に昇格して、J1でも優勝やACLも目指すチームなら、もっと言い合ってもいいと思います」
─やはり、選手間で要求し合うことは大事ですか?
「そうですね。練習の中から、球際一つにしても激しく行くことが大事だし、浦和では練習から試合のような削り合いもありました。うまさだけではなく、強さもあった。チーム内での競争も厳しかったですし、要求するし、される。ピリピリした感じの中でやっていました。それは選手にとって成長する上では大事なことです。試合になると相手がいるわけで、練習も慣れ合いでやるのではなく、試合を意識してやることも大事だと思います」
─強いチームになるためには切磋琢磨は必要ですね。
「必要だと思います。うまいだけじゃ勝てないですしね。それに下手だったら勝てないのか、というと、そうでもありません。仙台のときに経験しましたが、周りからの評価は低くても、ハードワークして、攻めて、守ってということを90分続ければ優勝争いもできます。年齢やうまい、下手は関係なく、一体感を持ってハードワークできるチームが強いのかなと、経験上、思います。それが昨季のセレッソに足りないところだったとも思うので、そのへんを今季は変えていきたいですね」
─13、14年の浦和での2年間についてうかがいます。外から見れば、不本意な2年だったのかなと思いますが、ご自身にとってはどういったモノでしたか?
「出場数など、数字だけを見ると良かった移籍ではないと思われるかも知れませんが、自分の中では失敗だったとは思っていません。また違うサッカーも経験できたし、いろいろなことを学べた2年間でした。思うように出られなかったシーズンでしたが、メンタルの部分で強くなったし、腐らず2年間練習できたことは、財産になりました。挫折というか、つらかったシーズンでしたけど、これからのサッカー人生でも糧になると思っています」
─ペトロヴィッチ監督の戦術や指導はいかがでしたか?
「基本的には攻撃の練習が多かったです。ボールをもらう前の準備ということで言えば、ただ、良い準備をするだけではなく、『味方が蹴る瞬間に動き出せ』、『蹴るタイミングで方向を変えろ』、『縦パスが入る瞬間に落ちろ』ということを言われて、こういうやり方、もらい方があるのかと新鮮でしたし、印象的でした」
─攻撃のプレーヤーとしての幅が広がった、と。
「そうですね。ドリブルは自分の武器だし勝負するところですけど、受け方やコンビネーション、パスという部分も大事にしていきたいです」
─明治安田J2第2節・大宮戦(3○1)での玉田圭司選手の先制点をアシストしたパスは、試合後、「浦和で学んだ部分」と話されていましたね。
「あのゴールは良くできた崩しだと思うし、日本人選手だけでもやれるとアピールできたと思います。好きな得点パターンの一つですね」
─やはり、浦和のような大勢のサポーターの前でプレーすることは特別でしたか?
「日本で一番サポーターが入るクラブですからね。2年間という短い期間でしたけど、熱いサポーターの中でプレーできたことは良い経験でした。いまはセレッソでJ1に上がって、またあのスタジアムで試合をしたいな、と思っています」
─移籍の経緯については、浦和で契約満了となり、C大阪からオファーがあった、ということですね?
「そうですね。海外も視野に入れて動いていたんですけど、大熊(清強化部長)さんとも話をさせてもらう中で、自分を必要としてくれました。J2というカテゴリーについても、もう一度自分の原点に戻って、ここからスタートしようと思えました」
─迷わず決めることはできましたか?
「選手である以上、J1でプレーしたいという気持ちもあったので、正直、やっぱり迷いました。でもセレッソというクラブはここからまた這い上がっていけるクラブ。チームとしても僕個人としてもステップアップして、またJ1で優勝争いすること。それができる力がセレッソにはあると思ったので、ここに来ました」
─宮崎キャンプ最終日に行われた仙台との練習試合後の、「自分の価値をもう一度証明したい」という言葉が印象的でした。
「去年も自分の中では試合に出たらやれる自信はありました。周りから見たら、試合に出ていない以上、ダメなのかなという思いを持たれても仕方がないですけど、そのイメージを払しょくするために、もう一度自分の価値を高めるためにも、試合に出て、セレッソのJ1昇格に貢献したいという気持ちです」
─関口選手と言えば仙台のイメージも強いです。仙台での9年間は大きかったと思います。
「一番長くいたクラブなので親しみがありますし、いまでもJ1で戦っている仙台の試合は見ています。東北を盛り上げるために頑張ろうと必死になって戦って、自分もその中でプレーして、J2優勝も経験しました。その後、震災があってつらい時期もありましたけど、J1でも優勝争いができました。いまでも気になるクラブですし、天気予報なんかでも、癖でつい仙台を見ちゃいますね(笑)」
─いまでも心の中に残っている、と。08年のJ1・J2入れ替え戦も印象的でした。
「あの年は非常に悔しい思いをしたシーズンでした。入れ替え戦(進出)をセレッソと争っていたんですよね。最終節に草津(現・群馬)と戦って僕が決めて勝って、入れ替え戦の切符をつかみました。磐田と対戦した入れ替え戦では、ホームでは1-1。先制したけど追い付かれて。アウェイでは0-2からリャン(・ヨンギ)さんのFKで1点を返して1-2になったんですけど負けてしまいました。でもあの悔しさがあったから、いまの仙台があると思う。僕自身、入れ替え戦に負けたときは移籍も考えたのですが、残って良かったと思っています」
─翌09年は、“ホーム12連勝”“リーグ戦23戦無敗”と数々のJ2新記録を打ち立て優勝しました。
「あの年は負ける気がしなかったです。0-0で試合が進んでも、いつか点が取れるという気になったし、攻められていても、みんなでブロックを組んで、入れられる気もしませんでした。一体感とハードワークがあって、相手にとってはイヤなチームだったと思います」
─当時はC大阪と優勝を争っていました。当時のC大阪はどういうふうに見ていました?
「攻撃的なチームで、イヤな相手でしたよ。(レヴィー・)クルピ監督のサッカーが浸透していて、前の選手が自由に伸び伸びやっている印象でした。(香川)真司(ドルトムント)や乾(貴士、フランクフルト)が中央を細かく崩してきて、マルチネスとか良い外国籍選手もいました。でも、ブロックを組めばやられる気もしなかったし、攻められていても、いつかチャンスはあると、思いながらやっていました」
─そして、ユアスタで行われた第49節の仙台対C大阪の直接対決は劇的な試合になりました。
「後半アディショナルタイム、ですよね。パク(・チュソン、現・貴州人和/中国)が決めたヘディングで仙台が勝った試合ですね」
─あの瞬間は地鳴りのような歓声でした。仙台のサポーターも浦和に負けず熱いですね。
「熱いですね。サッカー専用のスタジアムで、満員になると1万9千人入りますし、仙台の選手とすればすごく後押しになるし、相手からすれば圧迫感があると思います」
─11年は東日本大震災がありました。「仙台の希望の光になる」と頑張っていた1年を振り返ると?
「震災に遭ったときはサッカーどころではなかったですね。生活するのがやっと、食糧を確保するのがやっと、という状況でした。近くの公民館で生活することもありました。そんな生活をする中で、大変な状況の中でも、サポーターの方が僕にパンをくれようとしたり。そのパンをもらうことはできなかったですけど、そういうサポーターの思いをピッチで表現しようと思ってプレーしていました。J1で優勝争いをした翌12年はそれができたシーズンだと思うし、仙台サポーターの後押しは大きかったです」
─仙台時代を振り返る上で、手倉森誠監督(現U-22日本代表監督)も欠かせない存在だと思います。
「僕とリャン(・ヨンギ)さんは誠さんと一緒のタイミングで仙台に来ました。誠さんはコーチや監督というより、兄貴的な感じでした。練習も居残りで付き合ってもらいましたし、出始めたときも我慢して使ってもらいました。いまの自分があるのも、誠さんが使い続けてくれたことが大きいです」
─やはり、ダジャレは多かったんですか?
「多かったですよ。みんな聞き流す感じでしたけど(笑)。ダジャレは別としても、モチベーションを上げることがうまい監督でしたね」
─J2の戦い方は、知り尽くしていると思います。あらためて、J2を勝ち抜くために必要なことは何だと考えていますか?
「まず、走れるチームは負けません。走れないチームは苦戦すると思います。あとは、攻められていても、セットプレー1本で決まることもあります。仙台時代もリャンさんのCKから1点取って1-0で勝った試合も多かったです。時間の使い方も大事になるし、勝っている状況で残り5分をどう戦うか。したたかに時間を使うことも必要です。シーズンをとおして、全部が全部、良い内容で相手を90分圧倒して、という試合を続けることは無理なので、相手に押し込まれていても1発のFKで勝つとか、優勝するのであれば、そういう試合も必要になると思います。優勝やJ1昇格を狙うのであれば、第3節・岡山戦(1△1)のような試合で勝ち点2を失うことはやってはいけないと思います。
─まさに岡山戦もそうでしたが、最後まで走って一丸で立ち向かってくるチームが多いのもJ2の特長ですよね。
「逆に言えば、どの試合でも相手より多く走ることができればチャンスも増えると思います。ピンチのときにどれだけ走って戻れるかも大事。一見、無駄走りかもしれないけど、それは無駄走りにはならない。少なくとも相手には、目には見えないプレッシャーを与えられます。しつこさというか、相手がどんなに崩そうとしても崩れない一体感があるチームとか、後半でも運動量が落ちないと言われるチームはやっていてもイヤですし、それが優勝した(09年の)ときの仙台だったと思います。セレッソは、メンバーはそろっているし個の能力は高いので、そういうことができれば、最後に仕留めることもできると思う。昇格も優勝もできると思います」
─セレッソは、戦力的に上回っていると見られるがゆえに、うまくいかないと焦りも生まれそうです。どっしり戦えるかどうかも、シーズンを勝ち抜くカギになるかと思います。
「状況から考えれば、セレッソはJ1に上がらないといけないチームであることは確かです。でも、焦って攻撃に行くと相手に逆襲を食らうこともあります。焦る必要はないと思うし、反対に、相手に持たれていても、持たせていると思えばいい。取ったときにカウンターも狙えます。仙台時代も、回させているというイメージでした。攻められていても精神的な疲労度はなかったですし、仲間同士の良い距離感の中で、声を掛け合いながら連動して守ることができていました。絶対勝てると慢心することはダメですけど、相手に持たれていても、セレッソもそのような気持ちで戦えばいいと思います。これからどんどん良くなっていくと思うし、良くしていかないといけないと思います」
─今季のJ2のレベルに関してはどう思われますか?
「以前に比べ、力は拮抗していると思います。一人ひとりの技術で劣っても、ハードワークでカバーしたり、組織的に守ってきたりするチームも増えています。そういう相手に昇格候補と言われているチームが苦戦したり負けたりすることもあると思います。年々、難しいリーグになっていると思います」
─正直、出場機会はもっと欲しいですか?
「それは僕だけではなく、出ていないほかの選手もそうだと思うし、選手である以上、絶対に持っていないといけない気持ちだと思います。最終的な判断は監督がすることなので、良い準備をして、監督に呼ばれたときに良いパフォーマンスを出すだけです。そこまでは我慢して、練習から良い準備をするだけです」
─以前、練習場で聞いた、「(外国籍選手を含め)誰にも負けるとは思っていない」という言葉も印象的でした。
「自分には自分の良さはあると思うし、いま出ている選手にはない良さも持っていると思います。アクションを入れて、チームの良いアクセントになりたい。セレッソの選手は質の高い選手ばかりなので、うまく連動すれば、良い形で攻撃する回数も増えると思います。連動して動くことは浦和で学んだことでもあります。共通理解を持てば中央突破もできる。出して動く、出して動く、を繰り返せば、もっと崩せるはずです」
─最後に、J2を勝ち抜くために、セレッソサポーターに向けてメッセージをお願いします。
「毎試合、良い試合になるとは限らないし、苦しい試合も必ず出てくると思います。チームを後押ししてもらいたいと思います。時にはブーイングもいいと思います。自分たちはお金を払って見に来てもらっている以上、『お金を払うに値しない試合だ』と思えばブーイングでも構いません。プロとして真摯に受け止めないといけない部分だと思います。僕らは毎試合、勝ち点3をプレゼントできるように頑張るだけですし、シーズンの最後は笑って終われるように、サポーターの皆さんも1年間をとおして僕らと一緒に戦って、見守っていてほしいですね」
(C大阪担当 小田尚史)
2015/05/06 13:00