28日、クラブからFW勝又慶典選手の栃木SCへの完全移籍が発表されました。2008年のチーム加入以降、勝又選手はFC町田ゼルビアの“エース”としてサポーターから愛され、JFL昇格やJリーグ参入、そしてJ2リーグでの苦闘と、クラブの歴史を肌で感じてきた存在の一人です。今回の栃木への移籍は、サポーターの間でも少なからず衝撃が走りましたが、今回のブロゴラでは背番号7の、ゼルビアに対する思いについて触れたいと思います(写真/岩田 陽一)。
「激動の5年間でしたね」。2008年、勝又慶典は関東社会人リーグ1部を戦場としていた町田に加入。ルーキーイヤーからそれぞれのシーズンを振り返ると、毎年何らかの試練に出くわしていたことに気が付いた。
いまでこそ小野路グラウンドを練習場の拠点としているクラブだが、加入当時は遠くまで土のグラウンドを探しに行くこともあった。現在の小野路グラウンドが人工芝になっていることに対しても、勝又は驚きを禁じ得ない。
ホームスタジアムである“野津田”こと町田市立陸上競技場はメインスタンドを除き、大半が芝生席。とはいえ、“野津田”での試合は2~3,000人の観衆で賑わっており、スタジアムは常に活気に満ちていたという。
その年、勝又は関東リーグの得点王に輝き、クラブのJFL昇格に貢献。しかし、翌シーズンの町田2年目に最大の試練が訪れた。右ひざ前十字じん帯損傷でドクターからの診断は全治6カ月――。試合出場はわずか数試合にとどまった。
さらに2010年はスタジアム問題でJリーグ参入が叶わず。それでも、そのシーズンでの悔しさを糧に、2011年はJFL3位で悲願のJ入会を果たした。
だが、その先に待ち受けていたJリーグという夢の舞台は、かくもシビアなステージだった。チームは7勝11分24敗でリーグ最下位の22位。2013シーズンは再びJFLの舞台で戦うことになった。勝又自身も負傷に悩まされ、今季はわずか3得点。消化不良のままシーズンを終えている。
失意の2012年を終えた勝又は来季、栃木を新天地として戦うことを決めた。それでも“ゼルビア愛”が色褪せることはない。
「このクラブに関わる選手、スタッフ、サポーター、メディアの方々みんなのことが大好きで。クラブを去っていった選手たちも気になってしまって練習場に見に来てしまうぐらい、このクラブはみんなに愛されている。このクラブに関わってきた人たちは本当にたくさんいた…。クラブの中心として深く関われたことはすごく幸せだった。またほかのクラブに行っても『町田に帰ってくる』と言っちゃうんじゃないかな。町田は本当に情の深いクラブだから」。
最後のチーム練習となった17日。勝又は、来季の町田を率いる秋田豊監督から投げかけられた言葉が忘れられない。
「お前がここに帰ってきたいと言っても、お前のポジションがないくらい素晴らしい選手を育てておくよ」(秋田監督)。
指揮官のメッセージを聞いた背番号7は確信している。「秋田監督ならばこのクラブを託せるし、1年でのJリーグ復帰も絶対に果たしてくれる。そして、一度上がったらもう二度と落ちないチームになっていると思う」と。(文中敬称略)
【PROFILE】
FW 7 勝又 慶典(かつまた・よしのり)
1985年12月7日生まれ、27歳。174cm/69kg。静岡県出身。吉原高→桐蔭横浜大を経て2008年町田に加入。2013シーズンからは栃木SCでプレーすることが発表された。J2通算26試合出場3得点。
(町田担当 郡司聡)
2012/12/29 10:00