10日、天皇杯・鳥取戦で鈴木選手がついにプロデビューを果たしました。
ユース時代から“鹿島一筋”で育ってきた鈴木隆雅選手にとっては、やはり格別なものがあった様子。
「うれしかった。こういう中で試合ができるのはすごく幸せなこと」。
カシマスタジアムのピッチに立った際、多くのアントラーズサポーターから自分の名前がコールされ、「ミーティングの時から緊張して汗をかいてました(苦笑)」、「今までで一番緊張しました」、「デビュー戦がACLの懸かった負けられない試合だったので、とにかく緊張しました」という緊張を興奮と感動が上回ったそう。
しかし、意を決して臨んだ試合は延長戦にまでもつれ込んだだけでなく、足をつりながら120分間を走り切るという、過酷なデビュー戦に。「ユースの時も含めて、(足をつったことは)ほとんどなかった」と鈴木選手。試合後には大先輩の小笠原選手から「何、つってんだよ(笑)」と冗談を飛ばされたそうですが、「自分がチームで一番若いのに足をつってしまってチームに迷惑をかけた。みんながカバーしてくれたのでホント、感謝だけです」と、本人も反省と感謝を繰り返していました。「とりあえず、最低限、勝てて良かったです」
そんなデビュー戦の会話をひとしきり交わしたあと、最後に、ふと気になっていたことを聞いてみました。
「ところで、フェイスガードが取れていましたね?」
この試合、鈴木選手はフェイスガードを付けていませんでした。そもそも「邪魔だったので取りました(笑)」と、だいぶ前から外して練習に励んでいた鈴木選手ですが、U-19日本代表の遠征中に負った鼻骨のヒビはいつの間にか完治していたそうです。また、フェイスガードと言えばやはりイジりの“的”ですが、当時の鈴木選手もその例外ではなく、「そりゃあ、イジられますよ…」と苦笑。本来ならば『バットマン』と呼ばれるのが普通!? ですが、当時、アントラーズの選手たちが用意したニックネームはそんなに生半可なものではありませんでした。
「最初はアバターでした(笑)」
負傷してからしばらく鼻骨周りに残っていた内出血の青黒い痕。それを『アバター』と形容するアントラーズの選手たちはさすがで、鈴木選手も「鏡を見るのが自分でも怖かったですもん」と納得するしかありませんでした。とはいえ、もちろん内出血の痕がきれいに引けば残るのはフェイスガードのみ。次第に『バットマン』と呼ばれるようになり、「バットマンの方がまだ格好いいですからね(笑)」と安堵? していました。
それからというもの、すっかり完治した鈴木選手の呼び名は『アバター』、『バットマン』を卒業して「(鈴木)リュウガ!」に復元。
「(デビュー戦で)また折れなくて良かったです(笑)」
去り際、くだんの質問の答えがそう返ってきたのでした。
(鹿島担当 村本裕太)
2012/10/13 11:35