やりましたね。4季振りのJ1復帰。
アディショナルタイムを含めての最後の10分はもう、クリアしようにも、まともにボールを蹴れてなかったし、まさに死力を尽くすってこんな感じだなと。
大分が国立競技場で“決戦”を戦ったのは、これが二度目になります。最初は08年ナビスコ杯ファイナルでした。あの秋晴れの日の美しい初戴冠も忘れ難いけれど、その後にJ2降格とクラブの経営危機を経験した分、今回の喜びは奥行きを増していたような気がします。
プレーオフ参加資格を得るために5月からJ1昇格支援金を募り、監督や選手たちも練習の合間に、自ら街頭に立って協力を呼びかけた。華やかなはずのJリーガーが、サッカーをするためにお金をくださいと頭を下げなくてはならない。イベントや施設訪問で街に出るのとは、また違った経験です。でも、このことがあったおかげで、街の人たちの、応援している気持ちがチームにダイレクトに伝わり、パワーにつながったのではないか、と思います。(http://number.bunshun.jp/articles/-/305386 参照)
試合後の取材でいきなり「引退するつもりでやりました」と切り出して「ええっ!?」と記者をのけぞらせた村井慎二選手。すぐに「いや、『ケガしてもいい』くらいのつもりだった、ってこと」と言い直してくれて安心しましたが、この試合に懸ける意気込みの裏には、チームメイトへの思いがありました。(http://number.bunshun.jp/articles/-/306538 参照)さらに、村井選手の言葉を補足すると「卓磨が出ている間のチームが好調だったから、自分が出て悪い状態にしてはいけないと思った」とのこと。華やかな経歴を持つベテラン・村井選手のこの謙虚さが、今季最高のパフォーマンスをもたらしたのかもしれません。ましてやジュニアユースから在籍していた千葉が対戦相手でしたからね。
同じく古巣のJ1昇格を阻んだかたちになった、林丈統選手。J2降格の引導を渡された09年の“落とし前”を付ける劇的なシナリオを現実のものにしてくれました。第39節の鳥取戦でGKとの1対1を外した時には、「タケさんのゴールで昇格させてくれるんじゃなかったんかーい!」と全力でツッコミたくなりましたが、今となっては、あれさえも、この感動的な終幕の伏線だったのではないかと思えます。一方で、千葉に対しての複雑な思いも明かしてくれました。オシム監督の下でプレーした時期は自分にとっての財産だと言い、以前にも「戦力外通告はつらかった。ジェフが大好きだったから」と振り返ってくれたことがあります。きっと3年前の西京極を忘れずにいてくれたのと同様に、今回の国立のことも、林選手の胸には、痛みをともなった栄光として刻まれたことでしょう。
長かった不調を乗り越えて「俺がみんなをJ1に連れていく」という約束を果たしてくれた森島康仁選手。得点以外の働きも見事ですが、やはり生粋のストライカーだと感じさせてくれるプレーは圧巻です。夏の終わりに広島から移籍加入して「僕は大分をJ1に上げるために来た」と言ってくれた丸谷拓也選手。天皇杯での2得点のみの“エンペラー男”返上は今後の課題として持ち越されましたが、あなたが来てからはホントに千葉に負けませんでしたね。雨の大一番でビッグセーブを連発した丹野研太選手。昇格まで数分というタイミングで重大な役割を負ってビビっていたルーキー、若狭大志選手。
そして、本当は昨季末で期限付き移籍の契約が切れていたのに「僕はまだ大分のために何もしていない」と、もう1年大分に残ることを自ら望んで、レンタル元の湘南を説得してくれた三平和司選手。試合中の接触による流血は、録画で確認すると大変なものでした。いつも明るく振る舞っているけれど、彼の人気の秘密は単純な明るさではなく、その裏に見え隠れする献身的な魂にあったのではないでしょうか。
こんな風に、J1昇格への道には、紙面に書けなかったたくさんの秘話がありました。シーズンが終わったところで、ぼちぼち小出しにしていきたいと考えていますので、また御覧ください。
でもその前に、26・27日発売の本紙を是非に。マッチレポートのほかに林選手についてのコラムと大分の絆ドキュメントを書きました。販売地域外の方は、デジタル版をダウンロード購入していただけます。デジタル版ならバックナンバーも完璧です。以下のサイトでどうぞ。
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(大分担当 ひぐらしひなつ)
2012/11/26 14:41