去る6日、東京Vは川勝良一監督の辞任、そして併せて強化本部長の職を辞することを発表しました。
このことは5日の練習後に決定し、6日朝に選手たちへ伝えられたといいます。もちろん、6日のクラブハウスは騒然とした雰囲気でした。ヴェルディ、ベレーザ…。チームに関わるすべての人が驚いた辞任劇でした。
今回のブロゴラでは、本紙に掲載し切れなかった、川勝氏や選手の談話を紹介いたします。
まず、取材に応じてくれたのが、主将のDF森 勇介選手です。これだけ神妙な面持ちの森選手は、初めて見たかもしれません。言葉を紡ぐのに大変なタイミングでしたが、取材を受けていただきました。
「今日の朝、知りました。まず、申し訳ないという気持ちになりました。選手がもっと試合で勝てるようにやっていれば、こういうふうになっていなかった。
最初は、クラブから説明があった。そのあと、監督自ら、自分たちにしゃべってくれた。今日の練習は、真さん(高橋真一郎監督代行)がやりました。『もっとアグレッシブに、もっと攻撃的にやりたい』と言っていました。
ケツさん(川勝監督)は、『プロの世界だからこういうことはある。いろんなチームで、こういうことはあるけど、これでチームは終わりではないし、気持ちを切らさずにやってほしい。昇格を目指してやってください』と言っていた。練習もしんみりした感じになったけど、その雰囲気でやっても前に進めない。途中からは、少し明るくできたと思う。今日の今日なので、難しいところはあるけど、明日から、天皇杯に向けて、集中してやっていく。
今まで、あまり監督から怒られることはなかった。ケツさんはズバズバ言ってくれた。なんだよ、と思ったこともあったけど、今年なんかはしっかりコミュニケーションをとっていた。攻撃的なサッカーという考え方も自分と合っていた。目指す、昇格という方向があったけど、ここ最近はうまくいかないことも多くて。監督の責任になってしまった。今後、ここで昇格して、ケツさんに恩返しと言うか、これから、ケツさんがやってきたことが間違いじゃなかったというふうにできれば。
ずっと負けているし、もう一試合も負けられない。攻撃的なサッカーで勝っていきたい」
次にお願いしたのは、主将と言う立場ではないにしろ、いつもチームを引っ張り続けてきた、DF 土屋 征夫選手です。土屋選手はヴェルディ入団時から、川勝監督とは師弟関係にあります。
「こういう世界だから、こういうことも起こりうる。
ケツさん(川勝監督)とは長くやってきた。一番最初に思ったのは、悔しい思い。あとは、チームの中心でやってきて、こういう結果になったことについて、ケツさんに申し訳ないという気持ちがある。特に、ボク、チビ(飯尾一慶)、サエ(佐伯直哉)は若いときから育ててもらった。ここまでやってこられたのは、ケツさんが育ててくれたからなんです。
残り10試合と天皇杯、チームに絶対良い結果をもたらしてくれとケツさんは言っていた。プロとして、やらないといけないことだし、まとめてくれとも言われた。最後まで、自分の力を出して戦いたいです。
どの世界でも、チームを去る人というのは苦しいもの。そこに責任のない選手は一人もいない。その気持ちを持ってプレーして欲しいと、選手だけを集めて話しました。このことに何かを感じて、もっと良いプレーするとか、もっと走るとか、ちょっとしたことをやっていこうと言いました。
ケツさんの1、2年目は、もう少しで昇格に届かなかった。そして、この3年目でそれを成し遂げたいと思っていたなかだった。ケツさんは自分のせいだと言うと思うけど、やっているのは自分たち。責任は感じている。
誰が出るかは分からないけど、みんな一丸になろうと話している。一つの勝利を手にすることって難しいが、きっかけを掴みたい。勝ちでしか生まれない。違う大会でも、勝つことは刺激になる。どういう形でも勝つ。それだけを目指してやりたい」
土屋選手の話にも出てきた、MF佐伯 直哉選手も、副将としてチームをまとめる立場でした。ヴェルディジュニアユース時代から、川勝氏には指導を仰いでいた、まさに川勝氏の魂を受け継ぐ選手でもあります。
「なんて言ったらいいのか…。ショックです。週半ばでこういうことになるとは。自分は一緒にやっている時間が長かった。恩師でもあります。そしてボクの場合、今年はグラウンドでまったく何もできなかった。申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
福岡でケツさんと一緒にやったあと、オレが大宮でチビがヴェルディに移ったとき、『いつか一緒にやって、ケツさんを男にしよう』という話を電話でしていたんです。でも、結果で恩を返せなかった…。
今日の練習は、葬式みたいな雰囲気になったところはあった。これではいけないというのはあったけど…。これで、こういうことがあり得る世界だということを、若い選手も分かったと思う。でも、何回経験しても、慣れるものではないですね。
(川勝監督は)試合でも、プロとしてあるべきスタイル、心の持ち方を植え付けようとしてくれたのは確か。それは、今後に続いていくと思う。
天皇杯?明日から気持ちを天皇杯、そしてリーグの残り10試合に向けていく。良い形で終えて、昇格できたと報告したい」
川勝氏からバトンを受け取ったのは、今年から川勝氏に呼ばれてコーチを務めていた、高橋 真一郎氏です。監督代行として、まず8日の天皇杯HOYO AC ELAN大分との試合を指揮します。
「急よね…。昨日(6日)、ケツから直接、練習中に言われた。紅白マッチの2本目のときに呼ばれて、『あの選手良くなったなあ』なんて、メンバーのことを話しているときに、『あとはよろしくお願いします』って。びっくりした。残念。でも、こういう世界だから。責任は感じているし、それは選手もスタッフも。
『みんなをのびのびやらせてぼしい』とケツも言っていた。楽しく面白いサッカーをしたい。結果も出す。攻撃的にやります。オレも攻撃のことが大好きだから。攻撃の流動性を高めて、グループで回すことができるようにしていきたい。人も動かしながら、躍動感のあるサッカーをしたい。
基本的には調子の良い選手を出す。そういうのがサッカーにも合っている。パフォーマンスが上がっている選手を出す。でも、ベテランもやっぱりうまいんだよね。年齢関係なく、やりたい。フラットな目を持って。
楽しいこと、辛いこともあるけど、みんなと一緒に楽しんでポジティブにやります。まずは良いときを思い出させる。そして、追い越していくプレーを出す。選手に良い演技を出させるように全力でやっていく」
川勝氏にも、話を伺わせていただきましたので、ほぼ全文を掲載します。
「こういうのはつきものだからね。でも、ヴェルディだからこうなったとも言える。周りからの期待も大きいから。2年半という期間は自分でも一番長い期間やらせてもらえた。よくやらせてくれた。なかでもサポーターは、一時的に環境がダウンしても、いつでも応援してくれた。チームは誰のものでもなく、サポーターあってのもの。期待して、応援してくれた。この前のように、雨の日でも。それならば、切り替えていくしかない。
みんな、平等に見てきた。そのなかでも、チビ(飯尾)とかサエ(佐伯)は中3くらいから見ていて、長いよね。プロとして、彼らは見ていたつもり。ただ、サエは今年も1月2日からトレーニングしたのは知っていたし、頑張っていたから、なんとか使いたかった。でも、それでは情が優先する。あとは力で勝ち取らないといけない。ここ(よみうりランド)が長い人には特別な思いがあるけれど、形として出さないことは考えていた。若い選手の一部もそうだけどね。
個人的には、二つの悔いがある。J1に上がるまで仕事できなかったこと、それと、高木兄弟(俊幸、善朗)は、もう1、2年、ここでやらせたかったということ。ヴェルディのサッカーへの印象を戻して、J1に戻せれば良かったけどね。
ウチは20歳前後の選手と30歳以上の選手で偏りがあった。夏はそこの配分がうまくできなかった。もっと計算できれば良かった。ただ、選手はやれる範囲でやってくれていた。そして、社長も我慢してやらせていただいた。そのなかで、回復できなかったところでの判断だった。(昇格の)可能性はまだ十分にある。このチームが好きならば、エゴにならずにチームのためにやってくれれば。
社長とも良い関係で終えられているし、昼田ともそう。ここに戻ってきたときには経営陣との問題もあったし、ストレスもあった。毎日、社長に食ってかかっていた。いまはだいぶ会社らしくなった。お金がない中でも、J1に戻そうと頑張った。オレがいなくなったあとに楽天がついた神戸のように、耐えていたら良いこともある。
2年間、のびのびとやらせてくれた社長には感謝している。けんか別れでは決してない。これからは、選手はリラックスしてやれるんじゃないか。酷い言い方もした。カミさんに、『今日は謝ってこい』と言われるくらいにね。
笑顔? いつも覚悟しているからだよ。50過ぎた年齢なのに、こんな若い人とやれて、しかも現役が長かったクラブでやらせてもらえた。何かが起きても悔いの残らないようにやってきた。晴れ晴れとはできないけれど、やり残したことはあれやことやとあるわけではない。みんなのしんみりしたのが伝染るのも嫌だしね。一人ひとりお礼をしに来てくれたんだけど、何も言わないでみんな黙っていてさ。そこで暗くなってもしょうがないし、いま、感謝しかないわけで。環境、選手、スタッフ。みんなに感謝している。ひとりじゃできないものだからね、サッカーは。
最後に、サポーターには、あんなに支えてもらったのに、結果を残せなくて申し訳ないと伝えてほしい」
終わりに、個人的なことを書かせてください。
ひと通りの取材を終えたあと、私たち報道陣は、川勝監督に今までの御礼を述べました。
川勝監督がコメントした『感謝しかない』のは、当方も同じです。私たちの取材に対する真摯な姿勢、そして何より、この2年、サッカーを勉強させていただいたことに対して、『ありがとうございます』という言葉しかありません。
厳しいことを書くこともありました。チームのことを、偉そうに書き連ねました。けれど、川勝監督は「どれ、見してみい」と記事に目を通すと、いつも何も言わずに私に渡し返すのです。そのときはいつも、「記者もプロやろ。プロの仕事をしないとな」という川勝監督の言葉がよみがえりました。「ああ、こんな若造にも、そういう目で見てくれているのだな」と、感服する瞬間でした。それと同時に、気が引き締まったことを覚えています。
ニヤリと笑いながら、最後にかけてくれた「少しは、感謝しているよ」という言葉。忘れません。
最後の取材をしていた際、川勝監督の手の中に、タバコの空き箱があることに私は気づきました。
「捨てますよ!」
「そんなん、ええよ。自分で捨てるし。じゃあ……、やる」
くしゃりとなった空き箱を握ったとき、熱いものがこみ上げてくるのが分かりました。
(東京V担当 田中直希)
2012/09/08 07:00