サッカー界で活躍するのは、選手や監督たちだけではない。コーチングスタッフや育成年代指導者はもちろんのこと、運営や広報にグッズ担当、昨今ではデジタルマーケティング担当を置いて力を入れる組織も多い。そうした日々、多岐にわたる役割を果たしているビジネススタッフや指導者たちもまた、一つのクラブを支える大きな存在だ。
現在、サッカー業界に多くの人材を輩出する、日本で唯一のサッカー専門総合学校『JAPANサッカーカレッジ』。全国のJクラブにも多彩な卒業生が散らばり活躍する。今回、そんなOB・OGの皆さんに登場していただき、サッカークラブで働く現在と、在学時代に学んだ経験を語っていただいた。
〈インタビュー・文:竹内松裕〉
大卒後、さらに学びの場へ。「サッカーの道で勝負したい」
――トレーナーを目指したのはどんなきっかけだったのですか?
平岡 僕は大学までサッカーをやっていたのですが、トレーナーという職業を初めて知ったのは高校生のときでした。週に2~3度トレーナーの方に来ていただいて、その仕事に接したのが最初のきっかけです。進学先の大学でスポーツに関わる勉強をしようと、体力測定について研究をするゼミに入りました。その中で、将来スポーツに関わる仕事がしたいと思った時に浮かんだのがトレーナーです。「こういう形でサッカーに携わる仕事をしてみたいな」と思いました。
――JAPANサッカーカレッジに入学した経緯を教えてください。
平岡 いままでやってきたサッカーの経験を生かして、Jリーグのチームでトレーナーをしたいと思うようになりました。そこでサッカー業界とつながりがあり、その道で勝負するための進学先を検討しました。大学の先輩には、他大学の大学院に進学した方もいました。私も他大学を見学した上で、サッカーに特化していることが決め手となりJAPANサッカーカレッジに決めました。ブラウブリッツ秋田でいえば、主務の松田太智や、今季副務で入った西澤大雅は同じ時期に通っていた間柄です。僕はトレーナーを目指す学科に3年通い、ダブルスクールで鍼灸の学校にも通っていました。
――大学卒業後に通い始めたとのことですが、学科の年齢層はどのぐらいの方たちでしたか?
平岡 在学中は僕の2個上の先輩で30歳前後の人がいました。高卒で入ってくる人はもちろん多いのですが、一度社会人を経験して入ってくる人もいたり、僕みたいに大学を出て入ってくる人もいたりで年齢層はバラバラです。他の学科と比べると比較的いろんな年代がいたと思います。男女比でいうと男性が多いですね。
――実際にどのようなことを学んだのですか。
平岡 基礎的な解剖学や怪我の起きる状況や勉強はもちろん、JAPANサッカーカレッジが特に力を入れているのが現場で学ぶことです。毎日毎日挑戦して、失敗することもありますし、成功することもあります。そうした経験の積み重ねが今の仕事に生きていると思います。ただ、いま振り返ると、もっと挑戦しておけばよかったです。もっとさまざまことに挑戦して、いろいろな人に怒ってもらえたらよかったなと思います。
体と心のケアをする。それが理想のトレーナー
――実際にチームに帯同することもありましたか?
平岡 そうですね。JAPANサッカーカレッジの中にはサッカー専攻科という学科でプロ選手を目指している人たちがいます。そのトップチームにトレーナーとして加わり、遠征にも一緒に帯同させてもらうこともありました。アルビレックス新潟さんにインターンに行かせていただいたことも大きな経験でしたね。実際にJリーグのプロの現場に入って、改めてこの業界で働きたいと思いました。
――在学時からJリーグのチームで働くことをイメージしていたのですか?
平岡 それが大きな目標だったので、目標に近づくように常に努力はしていました。ただ実際には卒業と同時に Jリーグの世界に行けたわけではありませんでした。僕は学生として3年間JAPANサッカーカレッジに通い、卒業後は1年間教員兼トレーナーとして勤務させてもらいました。そこでいろいろな方々とつながりを作ることができ、その次の年にブラウブリッツ秋田への加入が決まりました。
――ブラウブリッツ秋田のオファーを受けた決め手は何だったのでしょうか?
平岡 一番初めに金額を提示して契約オファーをしてくださったというところです。やっぱり順番がすごく大事で、そこで筋を通さないとこの先もいろんな関係が崩れてくると思っていました。他クラブからもいくつか打診をいただいた中で、一番初めにブラウブリッツ秋田さんが契約の話までしていただけたので、そのリスペクトの思いもあり順番を守ることを意識して決めました。
――平岡さんの1年目にあたる昨季、秋田はJ2昇格しました。どのような1年でしたか。
平岡 コロナの影響もあってリーグ戦の開幕延期が続いて、『今年Jリーグはできるのだろうか?』、というところからのJ3優勝でした。初めてのJリーグということもあって、本当に怒涛の日々が過ぎていきました。
――昨季の秋田はあまり負傷者がいなかったと思います。トレーナーとしても負傷者が少ないのは実績になるのでしょうか?
平岡 衝突など事故的なものは仕方がない部分もありますが、僕ともう1人の渡辺貴裕トレーナーとフィジカルコーチの3人で連絡を取り合って、防げるものはできるだけ防ごうと頑張りました。今季も昨季を継続し、渡辺がリハビリを担当していて、僕がフィールド上で起きた負傷などの対応をしています。リハビリのメニューは2人で考えていますね。チームのマネジメントは監督やヘッドコーチが決定します。ただ個別の選手の事情として「特定の筋肉が張っているので、こうしたメニューは外してもらってもいいですか」ということをコーチ陣と話して調整してもらうことはあります。
――選手とのコミュニケーションではメンタル面の対応も必要になるでしょうか。
平岡 もちろんそうですね。ケガをしてない選手に関してもケアを毎日していて、でもそこで友達になりすぎないというか、距離感が大事だと思っているので。できるだけポジティブな声掛けができるように言葉選びには気を使っています。
――今後の目標を教えてください。
平岡 身体が動くうちはJリーグで、特に現場で働きたいと思っています。僕がトレーナーとして求められる限りはJリーグの舞台で、いろんなクラブでも仕事していきたい。その先はまだちょっと分からないですね。僕もまだまだ経験が浅いトレーナーですし、まだJリーグでキャリアも2年目。もっともっと多くの知識や最新の情報を集めて、自分の能力をアップグレードしていかないといけないと思っています。ケガを予防できるトレーナーになることはもちろん、選手から必要とされるトレーナーになりたいです。メンタル的なことも含めて、選手に寄り添えるトレーナーを目指して追求していきたいです。
――これからJAPANサッカーカレッジで学ぼうとする人に向けて、OBとしてどんな声を掛けたいですか。
平岡 チャンスは誰にでも来ると思うので、その時にチャンスをきちんとつかめる準備をしておいてほしいと思います。それこそサッカー業界だけに限らず色々な人と関わる機会があるので、その中で自分の進みたい道を明確にしていってほしいと思います。
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選手・コーチ・トレーナー・クラブスタッフなど、サッカー界のあらゆる分野を目指せる日本で唯一のサッカー総合専門学校。
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⇒ https://cupsnet.com/
(BLOGOLA編集部)
2021/06/05 11:00