前節・G大阪戦で、来日初のハットトリックを達成した名古屋のジョー。次節、鹿島戦に向け、神様ジーコとの接点を語ってくれた。
ジーコと言えばサッカー界のレジェンド中のレジェンド。「白いペレ」とも呼ばれ、ブラジル代表としてW杯3大会に出場。1981年の世界一のクラブを決めるトヨタカップではMVPを獲得した。今年7月には16年ぶりにテクニカルディレクターとして鹿島に復帰している。
ジョーは「僕自身、生でジーコのプレーは見たことないけど、父からよく話を聞いていたし、ビデオで見てそのプレーの凄さに感心した。世界的にも有名で憧れの人」と言う。そんなジョーはジーコに対して常に尊敬の念を抱いている。
ジョーの父・ダリオさんは、ブラジルの名門コリンチャンスの元選手。しかし生活のためにタクシー運転手に転身し息子たちにその夢を託した。やがてその夢は叶う。ジョーの5歳年上の兄ジェアンがコリンチャンスとプロ契約。ジョーにとってジェアンは模範となる兄だった。しかしその兄は2002年に交通事故で急逝してしまう。その時15歳のジョーは「自分がプロとなり、父や兄の夢を引き継ぐ」と決意をした。
その直後に行われたのがU-15日本ブラジル友好カップ。若年層の育成が最も重要だと考えるジーコが、毎年リオデジャネイロで開いている大会で、当時は日本から3チーム、ブラジルの3チームが参加していた。兄を失い傷心のジョーもコリンチャンスユースのメンバーとして参加。大会得点王となりチームの優勝に貢献した。
「あの大会で日本のことを初めて知ったし、初めて日本人とボールを蹴り合った。その時僕はサッカー選手になりたいとすごく思っていたし、こういう人生でありたいと願っていた。ジーコにすごく貴重な経験をさせてもらった」と、ジョーは語る。
その後ジョーはすぐにトップチームに昇格。持ち前の長身にテクニックを磨き、世界を舞台に戦うようになった。そして次節では、日本でジーコが心血を注ぐチームと対戦する。
「鹿島はブラジルでも良く知られている。ジーコがいたし、すごく楽しみな試合だよね。でも次はホームだし絶対に勝ちたい」
ジーコと関わることがある時点ですごくうれしいと笑顔を見せるジョー。ジーコが主宰する大会で才能を開花させ世界的な選手となった。ジョーはいつもより丁寧に何度も次の言葉を語っていた。
「ジーコがサッカーに対して行ってくれたことすべてに、本当にリスペクトしている」
憧れ以上の想いがそこにはあった。
ちなみに、ジョーが出場したU-15日本ブラジル友好カップには、鹿島アントラーズも出場していた。その試合でジョーはゴールを決めたと言う。次節はもちろん、その再現を狙っている。
(名古屋担当 斎藤孝一)
2018/08/10 12:01