神戸の三原雅俊に“金沢の母”がいた。
12日に金沢に乗り込み天皇杯3回戦を戦う神戸。07年に神戸に加入した三原は、09年6月から半年間、当時は地域リーグに所属していた金沢に期限付き移籍している。「公式戦に出場して、JFL昇格も経験できた。自分にとってターニングポイントになりましたね」と話すとおり、自身のキャリアにおいて金沢は大切な土地だ。
いまの金沢には神戸の元監督だった和田昌裕強化・アカデミー本部長や“88年会”のメンバーだった杉浦恭平、三原が14年に期限付き移籍した長崎でチームメートだった佐藤洸一、野田紘史らがいる。かつての仲間たちとの邂逅は、戦士の闘争本能をかき立てるシチュエーションになっているようだ。
さらに、記憶に深く刻まれた大切な存在もいるという。「大杉食堂のおばちゃん」と三原が語る、金沢の兼六園にほど近い場所で食堂を営む女性店主だ。当時、「練習が終わってジムに行き、お風呂に入ったあと、毎日5時半頃に食堂に行っていた。700円のサカナ定食」と、煮魚や焼き魚を連日、食べていたという。
さらに、女将が配達のため外出すると、なぜか店番をこなし、当時のチームメートだった現・長崎の古部健太も常連で、「古部さんはマイドレッシングを持ち込んでましたね」と記憶をさかのぼる。金沢に期限付き移籍した当時の三原は20歳。まさに“金沢の母”のような存在だった。
神戸に復帰してからも交流は続き、「会いに行ったりもしていた。年賀状のやりとりもあるし、結婚式の写真も送りました。ユニフォームをお店に飾ったりもしてくれた」と感謝を口にする三原は、「明るくて元気な人。ずっと半ズボン、履いてましたね」と“おばちゃん”との思い出を懐かしそうに振り返った。
8日のJ1第18節・仙台戦で先制ゴールを決め、4試合ぶりの勝利に貢献した三原。思い出の地での一戦を前に、「金沢は強いチームに勝っているイメージ。難しい試合になるけど、気合いを入れてやりたい」と勝利への意気込みを伝えていた。
(神戸担当 小野慶太)
2017/07/11 17:41