13日に発表された新潟の早川史哉が急性白血病と診断され、治療に入るというニュースが町田の選手にも衝撃を与えている。
三鬼海は早川と直接の面識はないとのことだが、「同じ学年としてすごく気になる存在」だったという。二人が中学3年だった08年12月の高円宮杯U-15選手権の準々決勝で、三鬼が所属していた名古屋U15と、早川が所属していた新潟JYは対戦している。
「(奥山)政幸(現・山口)がパスミスして、スルーパスを出されて、GKが前に出て来てかわされて…」(三鬼)という形から、新潟の先制点を決めたのが早川。当時の彼は背番号10を背負い、FWとしてプレーしていた。新潟はこの試合で、夏のU-15クラブユース選手権の全国王者だった名古屋を下し、決勝では橋本拳人(現・FC東京)がいたFC東京U-15深川に敗れたものの、クラブ史上最高の準優勝という結果を成し遂げている。
「でも、そこから後ろの選手になったんですよね」と三鬼が口にするように、その後、早川はU-17日本代表や筑波大では主に右SBとしてプレー。三鬼も同じ学年、同じポジションの早川は気になっていたという。「最近名前を見なくてアレ? と思っていたら…」と顔を曇らせていた。
「祈ることしかできないけど、何としてもまた元気な姿でサッカーができるようになってほしい」。それが三鬼の早川へのメッセージだった。
(町田担当 大島和人)
2016/06/15 15:43