柱谷哲二監督と岐阜の行徳浩二監督はユース代表時代のチームメート。行徳監督は「けがさえなければ、代表に入れる選手だった」と柱谷監督が絶賛するほどのプレーヤーだった。
現役時代、行徳監督は「日本にはいないタイプの、テクニックのある左SBだった」とのことで、選手間では「左サイドの魔術師」と呼ばれていたという。「本当にうまい選手だった」と柱谷監督は振り返った。
大学時代に大けがを負うと、実業団に入ってからも再びけがに悩まされ、類まれな才能を発揮することができなかったが、こうして指導者として同じ道を歩み、監督としてJリーグの舞台で対戦できることを「すごく幸せなこと」と柱谷監督は感慨深そうに語った。
「闘将」対「魔術師」。果たして軍配はどちらに上がるか。
(水戸担当 佐藤拓也)
2013/05/17 20:07