東日本大震災が起こった4年前の3月11日。宮城県塩釜市出身の佐々木勇人は当時G大阪に在籍中で、伊丹空港から羽田空港へのフライト中にその瞬間を迎えた。実家は内陸に位置しており親族や友人は無事だったが、翌月に山形空港経由で帰郷した際には海沿いの被災地を見て言葉を失ったという。
2年前に仙台へ移籍。地元まで車で20分と近くなり頻繁に帰るようになったが、その中で「まだ仮設住宅で暮らす人も多い。一方で報道などで取り上げられることもどんどん少なくなっていった」(佐々木)ことに一抹の寂しさを覚えた。
「(小笠原)満男さんも言っていたけれど、風化させちゃいけない。皆さんはあまり思い出したくないと思いますが、復興はまだまだ時間の掛かることなんです」(佐々木)と訴える。
震災直後は契約するスパイクメーカーの協力を受けて子供用のサッカー用具を寄贈。今は「サッカーを通じて地元の人たちを元気づけたい」とプレーで希望を与える。
(京都担当 雨堤俊祐)
2015/03/12 14:50